1964年-1982年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 16:29 UTC 版)
「ジョン・エントウィッスル」の記事における「1964年-1982年」の解説
ザ・フーのステージでは、所狭しと暴れまわる他のメンバーを尻目に、涼しい顔で黙々とベースを引き続けるスタイルを貫き通したが、そのリード・ベースとも称される大音量かつ超人的なプレイでバンドのアンサンブルを支えた。また、子供の頃から演奏してきたトランペットやフレンチホルン等を使用し、バンドのサウンドに広がりを持たせた。 エントウィッスルはタウンゼントに次いで多くザ・フーに楽曲を提供してきたが、彼の曲が採用されるのはアルバム1枚につき1、2曲程度であった。これに欲求不満を感じたエントウィッスルは、1971年に1stソロ・アルバム『衝撃!! (Smash Your Head Against the Wall)』をリリース。ザ・フーの中で最初にソロ作を発表することになったが、当時はバンドに籍を置きながらソロで作品を発表することが異例であり、一時はザ・フー脱退説まで流れた。だがタウンゼントは彼のソロ活動に肯定的であり、「彼がアルバムを作ったことで、俺達はよりジョンを知ることができた」と語っている。アルバムにはザ・フーで発表した「ヘヴン・アンド・ヘル」のセルフカバーも収録されたが、全米126位に終わった。 翌1972年にも2ndソロ・アルバム『風の詩 (Whistle Rymes)』をリリース(全米138位)。これは彼が作った童話的な物語(森で迷子になった少女が様々な動物と出会う話)を元にしたコンセプト・アルバムで、当時では珍しいシンセベースを使用した意欲作だった。続けて翌1973年にも3rdアルバム『死後硬直 (Rigor Mortis Sets in)』を発表(全米174位)。このアルバムに伴い、ザ・フーとは別のバンド、ライゴー・モーティスを結成し、プロモーションを兼ねたツアーも行った。1974年、他のメンバーが映画『トミー』にかかりきりになっている間隙に、自身の愛称を冠したバンド、ジ・オックスを結成。翌1975年にジョン・エントウィッスルズ・オックス名義で『マッド・ドッグ (Mad Dog)』をリリース(全米192位)、英米でツアーを行った。 だが、これらのソロ作品やツアーはいずれも赤字続きで、穴埋め分はほとんどエントウィッスルが持ち出すことになった。これ以降、しばらくソロ活動から遠ざかる。 1978年のキース・ムーンの死を乗り越え、1981年に6年ぶりのソロ・アルバム『最後のヒーロー (Too Late the Hero)』をリリース。全米71位につける自身最高の売上を記録した。
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