13世紀: 市民と教会、ミラノへの編入とは? わかりやすく解説

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13世紀: 市民と教会、ミラノへの編入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 03:01 UTC 版)

モンツァ」の記事における「13世紀: 市民と教会、ミラノへの編入」の解説

12世紀以後モンツァ中世都市として変容しつつあった。農業並んで、靴の製造などの手工業発展見せようになったまた、市壁の外では羊毛生産開始された。13世紀建設され市庁舎「アレンガーリオ」 (Arengario (Monza)) は、近接するモンツァ大聖堂対抗する建築物であった。アレンガリオに象徴される市民共同体コムーネ)の実力と、大聖堂象徴される宗教的権威権力とは、いずれ衝突する運命にあったまた、この時代象徴する施設としては、市場を開くことを目的とした大きな広場 Pratum magnum今日のトレント・トリエステ広場)がある。 1221年政治的な理由により、ミラノ大司教エンリコ・ダ・セタラ(Enrico da Settala)はモンツァ市長(ポデスタ)を破門しているが、ミラノコムーネモンツァコムーネ支援している。 1242年皇帝フリードリヒ2世支援するために、モンツァ首席司祭アルベリコ・ダ・オレノ(Alberico da Oreno)は都市宝物借り受けた。しかし不幸にして、宝物都市返却された際には大きな黄金の盃が紛失されていた。1254年フリードリヒ2世との戦い展開するミラノは、かつて課した破門取り消すことを条件としてモンツァから黄金の盃を借り出した。この盃に関しては、返却時に宝石17個が紛失されていたことが1275年財産目録記載されている。 モンツァ次第ミラノ共同歩調を取るようになる1255年モンツァ皇帝派によって略奪された。1259年、エッツェリーノ・ロマーノ (Ezzelino III da Romano) はモンツァ攻略を図るも撃退され周辺村落焼き討ちにしている。 聖堂所有していた宝物は、資金借り受けるための担保としてさまざまな当事者の手渡った1273年にはモンツァにあった聖アガタ謙遜者団(Umiliati di Sant'Agata)のもとに移り1311年には銀行家たちの手渡って安全のためアヴィニョン移された。代表団メンバーであるマルティノ・アリプランディ (Martino Aliprandi) はミラノの住人であったが、もともとはモンツァ有力な家系であるアリプランディ家 (Aliprandi) に属す人物であった宝物モンツァ聖堂戻ってきたのはようやく1319年のことで、これはミラノ領主であったマッテオ1世ヴィスコンティ (it:Matteo I Visconti) のおかげであった。 13世紀後半モンツァミラノ支配権をめぐるヴィスコンティ家とデッラ・トッレ家 (Della Torre) との抗争巻き込まれる1275年モンツァミラノ兵士によって占領される1277年デージオ戦い (Battle of Desio) でヴィスコンティ家がデッラ・トッレ家に対して勝利を収めると、ミラノ大司教オットーネ・ヴィスコンティ (Ottone Visconti) とモンフェラート侯グリエルモ7世 (it:Guglielmo VII del Monferrato) がモンツァ占領した翌年モンツァミラノ市長市民属するものであることが宣言される

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