13世紀から17世紀まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:16 UTC 版)
「アゼルバイジャンの歴史」の記事における「13世紀から17世紀まで」の解説
13世紀に入るとモンゴル帝国に編入され、1258年にチンギス・ハンの孫にあたるフレグ・ハンがイル・ハン国を建国した。アラン[要曖昧さ回避]およびムガンにはハン族のオルドが置かれ、それを取り巻く形でモンゴル遊牧民が集住した。モンゴル人の渡来の影響によってティムール朝下の住民のトルコ化が進行する。15世紀後半に入るとアルダビールのサファヴィー家が勢力を強め、現アゼルバイジャン地域を制圧し、サファヴィー朝を開く。サファヴィー朝は当地をアラス川を境界として2管区(カラバグ、シルバン)に分割して統治した。サファヴィー朝下で養蚕が奨励され、絹の生産が特色を持つようになり、17世紀には世界有数の養蚕地域となった。1720年代にはオスマン帝国、ロシア帝国が当地へ領土的野心を抱くようになり、アフシャール朝のナーディル・シャーと対立を深める(タリシュ・ハン国(英語版)、1747年-1813年)。カージャール朝のころになるとクーバ、カラバグ、シェッキ等の独立統治地域が出現しはじめ、独自の民族文化を形成した。
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