10.7決戦とは? わかりやすく解説

10.7決戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:39 UTC 版)

大阪近鉄バファローズ」の記事における「10.7決戦」の解説

1980年10月7日行われた後楽園球場における日本ハム近鉄後期最終戦。この試合開始30前に満員札止めとなった日本ハムはこの試合引き分けでも後期優勝が決まるが、近鉄優勝するにはこの試合に勝ち、対西武戦連勝する必要があるという日本ハムに非常に有利な試合であった両チーム先発投手近鉄鈴木啓示日本ハム高橋一三ベテラン左腕2回裏日本ハム1点先取打たれながらも何とか抑えていた高橋3回表に無死二塁とすると、早くも木田勇リリーフした。しかし佐々木恭介打たれ同点とされる。4回表には3本安打連ねられて3点失った木田カーブ制球定まらずバック失策出た。5回裏に日本ハム1点返せば近鉄クリス・アーノルドソロ本塁打放つ。しかし7回裏に日本ハム代打富田勝二塁打皮切りに4連打浴びせて2点返し1点差にまで迫る。8回表に有田修三ソロ本塁打放った後に木田マウンド座り込んでしまい、ついに降板した。その裏日本ハム一死三塁から富田近鉄2人目の投手井本隆の頭をワンバウンドで越えゴロ放ち、これを遊撃手吹石徳一ギリギリ追い付いて捕球三塁走者大宮龍男はこの場面で生還することができなかった。二死から高代延博安打でようやく生還して1点差に迫った日本ハム9回表近鉄攻撃間柴茂有宇田東植リレー凌いだ。9回裏の日本ハムクリーンナップ好打順。一番手柏原純一右翼への痛烈なライナーフェンス一杯捕球された。近鉄この後3番手の村田辰美替えたトミー・クルーズ右翼正面へのライナー二死トニー・ソレイタ三振終わり5-6近鉄勝利試合終了自力優勝の機を逸した日本ハム尻目に近鉄西武にも連勝して逆転優勝果たした監督西本は「あそこまで鍛え鍛えて全員全力尽くして戦えば、お客さん期待応えるあれだけゲーム出来るのです」とのちに振り返り当日新聞紙記者一人は「かつてプロ野球巨人一辺倒だったが、時代変わったと書いた。 1981年 マニエルの抜けた穴はあまりにも大きく前年4人いた3割打者1人出ず本塁打ビクター・ハリス22本がチーム高であるなど打線低下。また鈴木啓示も5勝しかできず負け越すなど投手陣振るわず前期6位、後期4位の最下位に終わる。シーズン終了後西本幸雄監督辞任後任関口清治就任

※この「10.7決戦」の解説は、「大阪近鉄バファローズ」の解説の一部です。
「10.7決戦」を含む「大阪近鉄バファローズ」の記事については、「大阪近鉄バファローズ」の概要を参照ください。

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