通字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 22:38 UTC 版)
主たる通字は「親」(ちか)で、嫡流の守護家のみならず、大友家支流の家柄でも多用されている。嫡流家では、室町時代になると代々足利将軍家から偏諱の授与を受けるようになったが、戦国時代の歴代当主(17代義右(初め材親)、19代義長(初め義親) から22代義統)が将軍家の通字である「義」(よし)を賜った。 義統は後に豊臣秀吉より吉字を賜り大友吉統を名乗ったが江戸時代の23代義乗は徳川家康に仕え清和源氏の通字である義字を源頼朝庶子に始まるという大友家家伝から使用を許され源義乗(大友義乗)と名乗り以降の歴代当主も「義」を通字として用い徳川将軍家に仕えた。
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通字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:44 UTC 版)
菅家党は支流まで含めて代々「佐」(すけ)の字を用いており、「祐」などは通音による誤記と思われる。
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通字
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主たる通字は「貞」(さだ)。その他「武」(たけ)、「尭」(ぎょう)などを、通字として用いていた。江戸時代後期以降は、通字を含む仮名のみを称していた。1872年(明治5年)5月7日の太政官布告「従来通称名乗両様相用来候輩自今一名タルヘキ事」により、諱と通称を併称することが公式に廃止されている。
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通字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 13:13 UTC 版)
初代・朝宗以降、ほとんどの歴代当主が「宗」(むね)の通字を使用する。ただし、江戸時代に伊達綱村(仙台藩第4代藩主)が父・綱宗と同名になるのを避け、第2代・宗村に由来する「村」(むら)の字を使用してから、第8代藩主・斉村までの間、「村」が通字となった。 室町時代の歴代当主は足利氏(初め鎌倉公方家、のち足利将軍家)から、江戸時代の歴代仙台藩主は徳川将軍家から、それぞれ偏諱を拝領しており、例えば、仙台藩第6代藩主・伊達宗村は、第2代当主・宗村と同名であるが、「宗」は将軍・徳川吉宗から偏諱として拝領したもので、それに通字の「村」を合わせたものである。 江戸時代後期には、第9代藩主・周宗、第10代藩主・斉宗の兄弟が「宗」の字を使用したが、その後は仙台藩主が短期間で次々と交代する一方で、将軍・徳川家斉の治世が長期化したこともあって、偏諱の「斉」字に合わせて通名を使用することで同名となることを避けるため、通字を使用しない時期が続いていたが、明治維新期の宗基・邦宗兄弟以降は再び「宗」が通字となり現在に至っている。
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