高柳会長の国会答弁
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「高柳会長の国会答弁」の解説
1959年2月12日、高柳会長は「憲法調査会法の一部を改正する法律案」の国会上程に当たり、説明員として参議院内閣委員会に出席、矢嶋三義委員(社会党)の質問に答えた。矢嶋委員は高柳会長に、憲法調査会は「日本国憲法のどういう点が問題である、改正をしたい、で改正するのはいかように改正したらよろしいか、こういう角度で御研究をされておるように私は拝察するわけですが、いかがでございますか」と憲法調査会のスタンスを問い、また、憲法調査会設置の提案理由に「現行日本国憲法は、占領下に、この抑圧され、制約されて、押しつけられてできた押しつけ憲法である。だからこれを再検討しなければならぬということ」が非常に強調された事実、及び、国会の速記録に「第一は占領軍の制約下においてこの憲法はできたという点を調査する。第二点においては、日本国の国情に沿うか沿わないかという点を調査するのが目的」であり、特に、政府としては第一点に重きを置いて「占領軍の制約下にこれが押しつけられた憲法としてできたという点に特に重点を置いて調査する考えである」と記録されているのを承知しているかと質問した。 高柳会長はこれらに対し、それぞれ「私の会長として職務を行うようになりましてから、調査会は憲法の改正ということを前提として運営さるべきものではなく、憲法に関連する諸問題を客観的によく研究して、そしてその結果を内閣及び内閣を通じて国会に報告するというのが、法律でわれわれに委託された職務だ」と理解していると、また、「法律になる前のいろいろな政府の提案というもの、それに、たとえば独立に運営をする憲法調査会が従わなければならぬなんという理由は、私はないと思う。法律ができた以上は、法律の精神というものに照らして日本国民のためにわれわれは仕事をするのだという気持でやるべきものである、特定の提案者がどういうふうに言ったかとか、言わないとかというようなことによってわれわれは拘束を受けないものと、こういうふうに私自身は考えております」と答弁した。 矢嶋委員は委員会の渡米調査に関し「制約下において押しつけられた憲法であるからこれを再検討する、これに重点を置くというその一番根源をなすものは、それは一九四六年二月〔ママ〕自由党憲法調査会における松本博士の口述が非常に影響をしているわけですが、この松本博士の口述に対して、あなたの報告を見ますというと、明らかに誤謬の点が含まれているという調査結果なのか」と質問した。これに対し、高柳会長は次のように松本口述は「間違い」だとする答弁を行った。 それはホイットニーが言った言葉、このラインで日本国政府が憲法草案を作らなければ、天皇の進退を保障しないと言ったというのです。その解釈は、もしこれをのまなければ天皇を戦犯にして出す、のめば出さない、こういうように松本氏は解釈しておられる。それはわれわれは調査の結果、どうもそうじゃない、そこにおった人、ホイットニーがこれを否定するのみならず、そこにおったハッシーでもラウエルでもみな否定しているし、日本人でもこういうことは忘れているというので、どうも私はちょうどそのころ戦犯のことをやっておりまして、マッカーサーの戦犯に関する考えを相当調査した。どうもこれは松本さんの考えはおかしいなと思った。マッカーサーの代表〔ママ〕がそんなおどかしをするなんて、おかしいと考えておったのですが、そこに出た人の証言によって、どうもそれが間違いだというふうに認定した。(略)調査の結果としては、これをのめば出さない、のまねば出すと、こういうふうな松本博士の解釈はどうも間違いだ。向うは客観的に当時の国際情勢のいかにきびしいか、まごまごしていれば天皇制が危ないぞ、天皇身柄も危ないぞということを警戒〔ママ〕しておったのであって、そういう司令部の意思を表明したのじゃないというふうに解釈するのが正しいというふうに、われわれ三人〔渡米調査団の高柳賢三、高田元三郎、稲葉修〕とも一致したわけです。 — 参議院内閣委員会での高柳会長答弁より 翌2月13日の朝日新聞は、このやり取りを「高柳氏 押しつけ憲法説を否定」という見出しで報じた。
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