音楽的成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:31 UTC 版)
「キャット・スティーヴンス」の記事における「音楽的成功」の解説
1970年代初頭の作品において独自のサウンドを構築した彼は、その後数年に渡って順風満帆なキャリアを歩んだ。1971年のアルバム『ティーザー・アンド・ファイアーキャット』はビルボードのチャートで2位まで上昇して発売後3週間でゴールド・ディスクに認定された。エリナー・ファージョンが作詞した賛美歌のカヴァー「雨にぬれた朝」(ピアノはリック・ウェイクマンが演奏)や「ピース・トレイン」、「ムーンシャドウ」などのヒット曲がアルバムには収録されている。『父と子』と同様に米国で300万枚以上のセールスを記録したこの作品は、2001年に2作揃ってRIAAによるマルチ・プラチナムの認定を受けた。 ボストン・ラジオ・ステーションによるインタビューの中で、スティーヴンスはアルバム『ティーザー・アンド・ファイアーキャット』についてこう述べている。 "I get the tune and then I just keep on singing the tune until the words come out from the tune. It's kind of a hypnotic state that you reach after a while when you keep on playing it where words just evolve from it. So you take those words and just let them go whichever way they want... 'Moonshadow'? Funny, that was in Spain, I went there alone, completely alone, to get away from a few things. And I was dancin' on the rocks there... right on the rocks where the waves were like blowin' and splashin'. Really, it was so fantastic. And the moon was bright, ya know, and I started dancin' and singin' and I sang that song and it stayed. It's just the kind of moment that you want to find when you're writin' songs." 『ティーザー・アンド・ファイアーキャット』が発売された年に、彼はいくつかの楽曲を映画『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』のサウンドトラックに提供した。それらの作品は後年にベスト盤がリリースされるまで、彼の他のどのレコードでも聴けなかったものである。映画は長年に渡ってカルト的な人気を誇っており、スティーヴンスが音楽活動を休止していた期間にも彼の音楽の魅力を広く大衆に知らしめるきっかけの作品となった。 1972年に発売されたスティーヴンスの次のアルバム『キャッチ・ブル・アット・フォー』は、彼にとって最も短期間のうちにアメリカ合衆国で成功を収めた作品である。アルバムはわずか15日でゴールド・ディスクに達し、「ビルボード」の首位を3週間にわたって保持した。内省的でスピリチュアルな歌詞は前二作を踏襲しつつも、歌唱やサウンドの面では以前よりエッジの効いた作風がこのアルバムの特徴となっている。「スウィート・スカーレット」はカーリー・サイモンが彼について書いた2曲の作品に対するアンサー・ソングである。この作品からは「人生はさすらい」がシングル・カットされ、HOT100で16位まで上昇した。発売から29年後の2001年に、アルバム『キャッチ・ブル・アット・フォー』は全米でプラチナ・ディスクに認定された。 1970年代に発売された一連の彼のレコードは、いずれもチャート上での安定した成績を収めた。彼がキャット・スティーヴンス名義で発表した最後のアルバムとなったのは、1978年暮れの『バック・トゥ・アース』である。彼が現役として活動していた時期から現在までに、数枚のベスト盤が発売されている。最も商業的に成功したのは1975年に発売された『グレイテスト・ヒッツ』で、このアルバムはアメリカ合衆国だけで400万枚以上のセールスを記録した。2003年5月には『Remember Cat Stevens』と題されたベスト盤の欧州各国での総売上が100万枚を突破したことにより、 彼は国際レコード産業連盟によって表彰されるプラチナム・ヨーロッパ・アウォードの一人目の受賞者となった。 1977年に発売されたイギリスの歌手エルキー・ブルックスとのデュエット「想い出のスクールヤード」は、スティーヴンスが最後にチャートに送りこんだヒット曲である。ちなみに、この曲が発売された際、ブルックスの名はふせられていた。 彼のキャット・スティーヴンス名義での実質的な最後のライヴとなったのは、1979年11月22日にウェンブリー・スタジアムで開かれたユニセフによる慈善目的のザ・イヤー・オブ・ザ・チャイルド・コンサートであった。
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