韓国民族史観に基づく解釈とは? わかりやすく解説

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韓国民族史観に基づく解釈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 11:52 UTC 版)

任那」の記事における「韓国民族史観に基づく解釈」の解説

現代韓国では民族誇りを養う為、政府学界が、記紀考古学的成果広開土王碑『宋書』倭国伝等の史料を、積極的に曲解する民族史観を国を挙げて推進している。 1963年金錫亨は「分国論」を発表した。この主張は、三韓住民日本列島移住し各出身地毎に分国建てたというもので、具体的に加耶人が広島・岡山に、新羅東北にという主張である。任那日本府問題それぞれの分国がこれを争ったという解釈である。この説に対しては、『日本書紀』登場する任那日本府」を否認するために、『日本書紀』批判しておきながら、『日本書紀』登場する出雲神話天孫降臨神武東征などは歴史的事実認め、そこから日本列島内の分国」の存在導き出しているのは自己矛盾以外の何物でもない、「分国論」が正しいなら、中国史料をはじめ、日本史料(『日本書紀』『古事記』)、朝鮮史料(『三国史記『三国遺事』)などに何かしら記事があるはずであるが、全くないなどの批判がなされ、全く支持されなかった。1970年代入り、それに同調する日本の研究者井上秀雄は「任那日本府」とは『日本書紀』引用する百済本記』において見られる呼称であり、6世紀末の百済高句麗新羅対抗するために倭国ヤマト王権)を懐柔ようとして、『魏志』(『三国志』)韓伝において朝鮮半島南部諸国意味していた「倭」と日本列島倭人政権とを結びつけて、ヤマト王権勢力早くから朝鮮半島南部及んでいたかのような印象与えているに過ぎない実際の『百済本記』の記述では、任那日本府ヤマト王権とは直接的に何の関係も持たないことが読み取れる主張した高麗大学教授日本古代史学者金鉉球は、『日本書紀』には倭が任那日本府設置して朝鮮半島南部支配しながら、百済高句麗新羅三国三国文化搬出ていったことになっているのに、韓国中学校高校歴史教科書では、百済高句麗新羅三国文化日本伝播される国際関係説明なされず、ただ高句麗新羅百済三国日本文化伝えた話だけを教えており、さらに百済高句麗新羅三国文化日本伝えたとされる話は、朝鮮最古史書12世紀の『三国史記』であり朝鮮古代史書存在しないため、すべて『日本書紀』から引用している。しかし、日本学者『日本書紀』引用して、倭が朝鮮半島南部支配したという任那日本府説を主張すると、韓国学界はそれは受け入れることができない拒否するのは、明白な矛盾であり、こうしたダブルスタンダードゆえに日本学界韓国学界軽く見ているのではないか、と指摘している。

※この「韓国民族史観に基づく解釈」の解説は、「任那」の解説の一部です。
「韓国民族史観に基づく解釈」を含む「任那」の記事については、「任那」の概要を参照ください。

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