青山商店 → 青楓チェーンストア → セイフー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/12 00:36 UTC 版)
「グルメシティ関東」の記事における「青山商店 → 青楓チェーンストア → セイフー」の解説
1932年10月、青山早次郎が青山商店を創業したのが始まりである。その後、卸売部門となる株式会社青山商店とスーパーストアー部門の株式会社青楓チェーンを立ち上げチェーン展開を開始。出店を重ね、首都圏での中堅スーパーとして安さを武器に大手スーパーを相手に互角以上の戦いを挑んでいた。 ところが1969年からサウナ、レストラン、マンション経営等の経営多角化が災いし、業績が一気に悪化。第一勧業銀行(以下、第一勧銀)の下で再建を行うこととなった。一時期は大手スーパーのジャスコと商品提携するも効果は稀薄で1年も経たずに解消した。 1979年、ダイエーが青楓側に業務提携を申し入れたが、再建パートナーの第一勧銀側が難色を示したため計画は頓挫。1980年1月に再度ダイエーが申し入れを行った結果、ダイエーと業務提携を結ぶ。この提携は、ダイエー側の80年度の重点政策であった業務提携の第1弾となり、青山社長含む創業者一族の辞任と、青楓の総発行株300万株のうち、青山社長の持ち株66万株含む22%をダイエーが収得すること等が決められた。この時の青楓の所有店舗数は53店舗。 1981年、社名を株式会社セイフー(本社:東京都葛飾区青戸)に変更。同年ダイエーがセイフーと同じく東京で食品スーパーを展開していたオーケーと全面提携。セイフーが累積赤字を解消し単年度決算で黒字となった時点でオーケーと合併計画だったが、再建が進まず、この計画は自然消滅している。 首都圏を中心に店舗を展開してきたが、ダイエーが新潟県のやませ、静岡県のトウアといった地場スーパーと業務提携を行っていたこともあり、前述の2社の営業権をセイフーが獲得し、中部・東海地方に進出。更に1996年、資金繰りの悪化したヤオハンジャパンから店舗の一部を買収し勢力を増やした(ヤオハンは翌1997年に会社更生法の適用を申請)。 2000年6月1日付で、休眠会社であったトウアを、旧:ヤオハンの大型店舗の運営のために復活させた東海ダイエーと、ダイエーに合併された忠実屋の傘下にあったシヅオカヤを吸収合併した(シヅオカヤは、忠実屋がダイエーと合併後にダイエーグループの一員となった)。 2006年3月1日、ダイエー系食品スーパー5法人(株式会社ダイエー含む)が店舗名を「グルメシティ」に統一するのを機に、社名を「グルメシティ関東」に変更した。なお「グルメシティ」は、以前からダイエー直営の小型店舗の名称及びセイフーの一部店舗の名称として使用されていた。
※この「青山商店 → 青楓チェーンストア → セイフー」の解説は、「グルメシティ関東」の解説の一部です。
「青山商店 → 青楓チェーンストア → セイフー」を含む「グルメシティ関東」の記事については、「グルメシティ関東」の概要を参照ください。
- 青山商店 → 青楓チェーンストア → セイフーのページへのリンク