電気工学、電信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:45 UTC 版)
志田林三郎 - 電信科第1期生。ウィリアム・エアトンらに師事、電信学を学んだ。1879年に電信科を首席で卒業し、日本初の工学士。翌1880年にスコットランドのグラスゴー大学に留学し、ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)の下で物理学、数学などを学び、数々の研究。帰国後、工部省電信局で日本の電信技術のために働きつつ、当校の教授に就任(当校初の日本人教授)、電気工学等の専門教育に尽力した。また電気・通信・磁気・物理などの分野で幅広い研究を数々行った。1888年、日本初の工学博士。 岩田武夫 - 電気工学科第2期生で、学生時代から青函海峡のケーブル工事に拘わる。その後電気会社を経て、台湾総督府で民政局技師に転進。岩田通徳の三男。 中野初子(なかの・はつね) - 電気工学科第3期生。卒業後発足の帝国大学で助教授、のち教授。その後アメリカで学位。大型発電機開発と高圧送電を成し遂げる。電気学会の会長を歴任。歌人。 藤岡市助 - 電気工学科第3期生。1881年に首席で卒業。「日本の電気、電灯の父」と言われる。1884年に教授となる。 浅野応輔 - 電気工学科第3期生。卒業と同時に当校の教官となり、同校助教授、東京電信学校長兼幹事、逓信省電務局電気試験所(現:電子技術総合研究所)の初代所長、逓信技師、電気試験所所長を経て、1899年(明治32年)東京帝国大学工科大学(現:東京大学工学部)教授。また海底ケーブル敷設工事のほか銅線の絶縁体等の研究に実績を上げる。 山川義太郎 - 当校では電信学を専攻。 1887年には当校の助教授に任ぜられる。1896~1899年、官命で欧米諸国に留学し主に電気学を研究。帰国後 東京帝国大学(現・東京大学)教授に昇進し、工学博士。 坂内虎次 - 電気工学を専攻。熊本電灯(熊本電気の前身)社長、人吉水力電気社長、球磨川電気社長。 玉木弁太郎 - 電気工学を専攻。工部省技手をへて逓信省技師、かつ東京電信学校(後に逓信官吏練習所となるもの)の教授となる。明治32年欧米を視察し帰国後、帝国鉄道庁技師、鉄道省電気課長。
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