陸上自衛隊での運用
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陸上自衛隊の前身である警察予備隊には設立当初M8装甲車と共にM20が供与された。当初はM8と合わせて100両以上が供与される計画であったが、朝鮮戦争の戦訓(韓国軍に供与されていたM8装甲車は共産軍のT-34-85戦車に全く対抗できなかった)を踏まえ、警察予備隊にも戦車の装備が必要である、とされたため、M8は少数が引き渡されたに留まり、M20も少数の供与に留まった。 警察予備隊が保安隊に改編された後に陸上自衛隊に移行し、M4中戦車を始めとする戦車が供与されると少数供与されたM20は特車部隊(陸上自衛隊での戦車部隊の初期名称)他での本部車両として使われたが、当時の日本の道路事情では装輪車両の高速性能を活かす機会が少なく、60式装甲車が開発されて配備されると次第に運用されなくなり1960年代の終わりまでに全ての車両が退役している。 自衛隊から警視庁警備部の特車隊に移管されて「特型警備車」として使用するという案も出されたが、オープントップの車体では投石や火炎瓶に対して脆弱すぎる、と警察側が難色を示したため、警察車両としての装備は見送られた。
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陸上自衛隊での運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:24 UTC 版)
「M52 105mm自走榴弾砲」の記事における「陸上自衛隊での運用」の解説
陸上自衛隊では、火砲の機動力強化の一環として榴弾砲の自走化が検討され、アメリカから少数が供与された。 1966年よりM52A1 105mm自走りゅう弾砲として30両が導入され、北部方面隊でのみ使用された。1977年より75式自走155mmりゅう弾砲により代換されて順次退役し、1984年には全車が退役した。
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陸上自衛隊での運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:30 UTC 版)
「M44 155mm自走榴弾砲」の記事における「陸上自衛隊での運用」の解説
陸上自衛隊では、火砲の機動力強化の一環として榴弾砲の自走化が検討され、アメリカから少数が有償援助により供与された。 1965年よりM44A1 155mm 自走りゅう弾砲として10両が導入され、北部方面隊の特科部隊(砲兵部隊の自衛隊呼称)でのみ使用された。同時に供与されたM52A1 105mm 自走りゅう弾砲より長期に渡って装備され、1980年代に入り75式自走155mmりゅう弾砲に置換られて退役が進められ、1986年には全車が退役した。
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