陸上交易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
外国との交易はなされ、陸路をつたって外国との交易が行われていた。 東方からは、渤海や新羅と交易がもたれ、渤海湾沿岸から盧龍の関税を通り、交易がなされた。渤海や新羅からは、高級毛皮・朝鮮人参などが運ばれた。 北方とは、突厥、回鶻との交易において、唐の絹が、馬と交易された。後に唐の茶も交易品に加わった。 西北との国家とはシルクロード交易がなされた。640年に、唐は高昌国を滅ぼして安西都護府を置き、直轄とし、西域経営を行った。西域に住む商業民であるソグド人は広範囲に商業活動を行い、安西都護府の軍に送られる絹や布は、唐初は人夫が行っていたのが、8世紀前半には、輸送量が増えたため、ソグド人を含む商人に輸送を委託されたことによって、交易は盛んとなった。 シルクロード交易では、金銀と絹が通貨として使用され、唐初では銀が重んじられたが、唐の影響力が強くなるにつれ、絹や銅銭が重んじられるようになった。交易路は険しい上に、家畜が運ぶ長距離輸送に頼るため、重量が軽く価値が高い奢侈品や嗜好品が主な交易品であった。唐からは、絹・紙・茶が輸出され、金銀器、真鍮、ガラス製品、玉、ラピスラズリ、絨毯、薬材、香料、胡椒、葡萄酒などが輸入された。輸送には、奴隷、馬やラクダ、驢馬などが使用され、それ自身も交易品となることもあった。 西域の商人は唐各地を回り、多くのソグド人が定住して、陸上交易は隆盛する。しかし、安史の乱以降は、西域における唐の勢力が衰え、吐蕃と回鶻の進出により、シルクロード交易は衰退し、唐の外国交易の主流は東南海岸からの海上貿易に移っていった。
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