阿彌神社 (阿見町中郷)とは? わかりやすく解説

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阿彌神社 (阿見町中郷)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 08:23 UTC 版)

阿彌神社(あみじんじゃ、阿弥神社)は、茨城県稲敷郡阿見町中郷二丁目25番[1](旧信太郡阿見村)にある神社明暦棟札では「大明神」、江戸中期の資料では「鹿島明神」と呼ばれていた[2]。阿見町竹来にある同名の阿彌神社とともに、延喜式神名帳常陸国信太郡二座の一社(小社)「阿彌神社」の論社(式内社)である。近代社格制度における社格は旧郷社。


  1. ^ 町名変更等以前の住所は「阿見2353番地」だった。
  2. ^ a b c d e f g 阿見町「阿見町名所百選」。
  3. ^ 明治神社誌料に基づく。
  4. ^ 茨城県神社写真帳の記述に基づく。明治41年3月に合併した9社については、神名の記載はない。なお、明治神社誌料は、最初の合併を明治40年としている。
  5. ^ a b 坂井久能「営内神社等の創建 (戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究)」『国立歴史民俗博物館研究報告』第147巻、国立歴史民俗博物館、2008年12月、315-374頁、doi:10.15024/00001638ISSN 02867400NAID 120005748681  霞ヶ浦神社に関する記述は、この論文に依拠した。
  6. ^ 丸山泰明「鎮魂の花火の民俗学 (特集 弔いと想起・語り)」『大阪大学日本学報』第35号、大阪大学文学部・大学院文学研究科、2016年3月、25-45頁、ISSN 0286-4207NAID 120005741538 
  7. ^ 予科練平和記念館ブログ(館長日記)「戦没者を慰霊する碑」, 2017年8月4日。2020年3月閲覧。
  8. ^ 常陽リビング「茨城歴史散歩」。
  9. ^ 和名類聚抄は「阿彌」(ゆみへん)を「阿禰」(しめすへん)と表記している。新編常陸国誌は「和名抄旧誤て阿禰に作る、今神名帳に因て更む」と注釈しており、一般に誤記と考えられている。
  10. ^ 「阿彌普都」という表現からは、親愛を表す接頭語(阿)とも、地名伝承と捉えなければ「あみ」という名の土地の「普都大神」の意とも解することができる。
  11. ^ 式内社調査報告の内容は「神のやしろを想う」に依拠する。
  12. ^ 阿見町「阿見の昔ばなし」(その8)。
  13. ^ 郡郷考が指摘する出雲国神門郡の同名社とは「阿禰(阿袮、あね)神社」のことである。和名類聚抄の表記を前提とした場合には同名社となるが、誤記とした場合(延喜式神名帳の表記に基づく場合)には何ら関係はない。
  14. ^ 阿見町「町界町名地番整理事業」, 2015年2月18日。2020年3月閲覧。


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