開局ラッシュ・最盛期
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「東京ヴィデオ・ホール」の記事における「開局ラッシュ・最盛期」の解説
東京では同年2月1日にNHK総合テレビジョンが開局し、8月28日には日本テレビが開局した。1954年(昭和29年)7月14日、蚕糸会館に隣接した糖業会館にニッポン放送が開局し、1950年代半ば過ぎから1955年(昭和30年)4月1日にKRテレビ(ラジオ東京テレビ)、1959年(昭和34年)2月1日に日本教育テレビ(NETテレビ)、1959年(昭和34年)3月1日にフジテレビジョンと民間放送のテレビ局が続々と開局した。 黎明期の民間放送ラジオやNHKを含むテレビ放送は関係者もすべてにおいて手探りで試行錯誤しており、番組制作のノウハウもゼロに近いといっても過言ではない程に乏しく、娯楽番組はスタジオ録音のラジオドラマや生放送が主流であったテレビドラマの他には落語・講談・浪曲・漫才といった演芸、邦楽・クラシック・ジャズなどの音楽など、既存の芸能や芸術を中心に据えた公開放送番組を製作するのが手っ取り早いという事情があり、開場当初からホールの利用は盛況を極めた。 さらに、本来の設立目的である公開放送番組用の賃貸スタジオとしての機能に加えて、不足していた番組制作スタジオの代用として観客を入れない非公開放送番組の収録、さらに番組制作・編集のスペースとしても便利に使用され、連日夜中までスケジュールが埋まっていた。 ラジオやテレビの公開放送番組の中継や収録以外に、通常の賃貸ホールとしても使用された。1954年(昭和29年)12月の第75回から第四次落語研究会の会場になり、1958年(昭和33年)4月19日の最終公演まで続いた。1962年(昭和37年)9月29日に始まった創作落語会の初期にも使用された。1954年(昭和29年)から音楽イベント「ウエスタンカーニバル」が開催され、1958年(昭和33年)日劇ウエスタンカーニバルに発展した。当時流行のジャズコンサートや自主製作映画の上映会、写真展にも使用された。
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