開局以降の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 04:32 UTC 版)
「岩手めんこいテレビ」の記事における「開局以降の経緯」の解説
1991年4月開局。開局にはキー局であるフジテレビの他に、地元県紙の岩手日報と、同じ岩手県の先発局でありフジテレビとの関わりが深いIBC岩手放送が関わる。 フジテレビ系列フルネット局の開局は、1975年10月1日のテレビ新広島以来15年半ぶりとなった。 当時キー局ではトップの視聴率を誇っていたフジテレビの系列局として開局し、人気番組が東京と同時刻で視聴できるメリットを享受できることで、奇抜な社名とともに県民に急速に浸透していった。 開局当初、本社は県南の水沢市(現・奥州市水沢)に設置され、県庁所在地の盛岡市には、開発前の本宮地区に「業務センター(演奏所)」が置かれた。当時の本宮地区は田園地帯であったため、「田んぼの中のテレビ局」であった。水沢本社・放送センターには「県内随一の広さ」を誇るスタジオが設けられていたが、実際には全くといっていいほど使用されず、あらゆる点で利便性の高い盛岡業務センターが本社・放送センター機能を担うこととなる。 本社が水沢市(当時)に置かれた理由は、フジテレビの鹿内宏明会長と開局当時の自民党幹事長で岩手出身の小沢一郎との間に「小沢が(系列新聞の)産経新聞の拡販に協力し、見返りにフジサンケイグループが水沢市に系列テレビ局を開設する」というバーターがあったとされる。しかしフジサンケイ側にとり、このバーター取引は思ったほど機能せず、ほどなくして登記上も盛岡本社となり、フジテレビが所有していた旧本社社屋は1999年に水沢市へ無償譲渡され、2001年4月26日から「めんこい美術館」として使用されることとなった。 2007年4月12日にはコミュニティFM局の奥州エフエム放送が既存の放送設備を利用、建物の一部を本社兼スタジオとして開局した(ケーブルテレビ局の水沢テレビも社屋移転を打診したことがあるが、こちらは実現しなかった)。 盛岡本社は、隣接地に関連会社の社屋が建てられたほかは目立った増築も行われないまま、現在に至る。社屋周辺は再開発の結果郊外化が進行し、公営施設(岩手県立美術館、盛岡市アイスリンク、盛岡市立総合プール)や住宅、店舗が増えたため、先述のような「田んぼ」は減少している。
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