開局を巡るエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:09 UTC 版)
「エフエム石川」の記事における「開局を巡るエピソード」の解説
1970年代の後半に、当時の郵政省は北海道・宮城・静岡・広島の各地域に当初割り当てられていたFM放送のチャンネルプランを修正し、1979年(昭和54年)5月16日、愛媛・長崎の各地域とともに石川県にFM放送用周波数が割り当てられた。石川県以外の道県では、割当てがあってから順調に県域FM局が開局されたが、石川県は3局目民放テレビ局(現在のテレビ金沢)の調整に難航したほかに、長年石川県のマスメディアにおいて対立関係にある北國新聞社と北陸中日新聞(中日新聞社北陸本社)との主導権争いも影響して(同様の例としては、旧岐阜エフエム放送での設立をめぐって岐阜新聞社と中日新聞社との対立も挙げられる)、県域FM放送局開局は約10年先送りとなった。また、開局時期で隣県の福井・富山両県よりも5年後塵を拝した。 そのため、エフエム石川開局の1990年4月1日まで、石川県ではFM福井、FMとやまなどを聴取するリスナーが多かった。開局後も聴取できなくなったわけではないためエフエム石川がネットしない番組あるいはエフエム石川で流れない楽曲を聴くため等の選択肢として使い分けられている。逆に富山・福井両県でも同じことが言える。
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