開催前史とは? わかりやすく解説

開催前史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/17 16:23 UTC 版)

国産振興四日市大博覧会」の記事における「開催前史」の解説

明治時代初期稲葉三右衛門私財投げうって四日市港整備したことにより、四日市発展きっかけをつかみ、1897年明治30年8月1日全国45番目、三重県では津市に次ぐ2番目に市制施行した1910年明治43年)から1928年昭和3年)にかけて第1期1929年昭和4年)から1936年昭和11年3月にかけて第2期修築工事が行われ、四日市港大きくなった。1934年昭和9年6月1日四日市市長就任した吉田勝太郎四日市港を「実に素晴らし発展振り」と讃え、「港湾完備工場誘致には大い努力したい」と語った当時四日市市経済世界恐慌による不況脱しつつあったが、未だ市の財政苦しく大型事業富豪からの寄付に頼るほかなかった。 そのため、財政安定のためには企業誘致必須考えられていた。そこで前市長戸野周二郎時代から計画のあった「海港博覧会」を具現化し、四日市港工場地帯宣伝を行うこととなった1935年昭和10年5月26日には四日市商工会議所協賛取り付け四日市市総代会支持国庫補助見通しが立ち、5月30日には四日市市議会博覧会会則と約70万円予算案決定した予算内訳は、博覧会費が501,950円、博覧会協賛会費200,000円とされ、博覧会費の約6割を寄付金見込み入場40万人からの入場料収入賄う計画であった博覧会協賛会は1935年昭和10年7月9日四日市商工会議所中心となって設立博覧会市内観光等の宣伝各種大会宿泊斡旋あっせん)、寄付金集めなどを担当寄付金については予想上回る84,550円を集めることに成功した

※この「開催前史」の解説は、「国産振興四日市大博覧会」の解説の一部です。
「開催前史」を含む「国産振興四日市大博覧会」の記事については、「国産振興四日市大博覧会」の概要を参照ください。

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