開催前史
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「国産振興四日市大博覧会」の記事における「開催前史」の解説
明治時代初期に稲葉三右衛門が私財を投げうって四日市港を整備したことにより、四日市は発展のきっかけをつかみ、1897年(明治30年)8月1日に全国で45番目、三重県では津市に次ぐ2番目に市制を施行した。1910年(明治43年)から1928年(昭和3年)にかけて第1期、1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)3月にかけて第2期修築工事が行われ、四日市港は大きくなった。1934年(昭和9年)6月1日に四日市市長に就任した吉田勝太郎は四日市港を「実に素晴らしい発展振り」と讃え、「港湾の完備と工場誘致には大いに努力したい」と語った。当時の四日市市の経済は世界恐慌による不況を脱しつつあったが、未だ市の財政は苦しく、大型事業は富豪からの寄付に頼るほかなかった。 そのため、財政安定のためには企業誘致が必須と考えられていた。そこで前市長の戸野周二郎の時代から計画のあった「海港博覧会」を具現化し、四日市港と工場地帯の宣伝を行うこととなった。1935年(昭和10年)5月26日には四日市商工会議所の協賛を取り付け、四日市市総代会の支持と国庫補助の見通しが立ち、5月30日には四日市市議会で博覧会の会則と約70万円の予算案を決定した。予算の内訳は、博覧会費が501,950円、博覧会協賛会費が200,000円とされ、博覧会費の約6割を寄付金と見込み入場者40万人からの入場料収入で賄う計画であった。博覧会協賛会は1935年(昭和10年)7月9日に四日市商工会議所が中心となって設立、博覧会・市内観光等の宣伝や各種大会・宿泊の斡旋(あっせん)、寄付金集めなどを担当、寄付金については予想を上回る84,550円を集めることに成功した。
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