開催前後における国民の感情の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 04:50 UTC 版)
「1964年東京オリンピック」の記事における「開催前後における国民の感情の変化」の解説
東京オリンピック開催4ヶ月前の6月上旬、日本放送協会放送世論調査所(現・NHK放送文化研究所世論調査部)が東京と金沢市で事前の世論調査を行った。「オリンピックには大変な費用がかかるので、いろいろな点で国民に負担をかけ、犠牲を払わせている」(東京60.6%、金沢53.7%)、「オリンピック準備のために一般市民のかんじんなことがお留守になっている」(東京49%、金沢29%)、「オリンピックに多くの費用をかけるぐらいなら、今の日本でしなければいけないことはたくさんあるはずだ」(東京58.9%、金沢47.1%)、「オリンピックは結構だが、わたしには別になんの関係もない」(東京47.1%、金沢54.3%)など、圧倒的な国民の支持に熱狂的に迎えられていた訳ではなかった。 日本放送協会放送世論調査所が昭和42年に刊行した「東京オリンピック」では、大会の開会まで政府や関係者が「吹けど踊らぬ国民」をいかに躍らせるかに苦心したさまを各紙の社説などの引用から克明に記し、次のように書き残している。「実際、開会を目前にひかえて人々の正直な感情は、関係のないお祭りということであったろう。少なくとも開会式までは、その他の人びとにとっては、まったく関係のない出来事と映っていたとしても、無理からぬことであった」 もっとも大会直後の調査では、「オリンピックは日本にプラスだったか」の問いに、89.8%が「プラスだったと思う」と答えている。 空気を変えたのは、開催前年(1963年)から新聞社(全国紙)や総理府(現・内閣府)を中心に行われた「盛り上げキャンペーン」や聖火リレーなどのイベントに加えて、開幕後も技の魅力、興奮であり、自国開催のリアルタイムで複数競技が相互に関係しながら同時進行する、総合競技大会の魔力に国民がくぎ付けになったことがあげられる。大会終盤、日本が団体を制した体操男子は視聴率80%、「東洋の魔女」が優勝した女子バレーボールの決勝は85%を記録した。
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