長らく続いた羽田空港発着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 09:32 UTC 版)
「チャイナエアライン」の記事における「長らく続いた羽田空港発着」の解説
1967年に大阪国際空港(伊丹空港)経由で東京国際空港(羽田空港)に乗り入れたのが始まり(1969年直行化)だが、1972年の日本と中華人民共和国との国交成立および中華民国(台湾)との断交を受け、台湾当局が1974年4月21日に日華間の航空路線を断絶させたため、前日をもって日本国内の各空港への乗り入れは一旦中止された。これを機に台湾ー香港を大幅増便し、香港経由にて日本ー台湾間の交通は確保し続けた。その後、1975年8月10日より羽田空港への乗り入れが再開された。※東京国際空港#成田空港開港後も参照。 1978年の千葉県成田市の新東京国際空港(成田空港、現在の成田国際空港)開港後、東京に乗り入れる国際線定期便は東京都大田区の羽田空港から成田空港に移転した。その中で、唯一中華航空(当時)のみ外交上の理由(日本政府と中華人民共和国政府の航空交渉の席上で、後者から「『中国を代表する政府』に関わる主権問題で対立する台湾の航空会社を同じ空港に乗り入れさせないように」という「圧力」があった)により成田空港へ移転せず羽田空港に残留した。この結果、都心に近い羽田空港ゆえ都内や横浜方面からのアクセスが比較的好条件であること、空港旅客サービス料が無料であること、国内線が集まる空港であり接続利便性が高いといった他社にはない優位性があった反面、他の国際線との接続利便性が低いという不利もあった。 なお、その後台湾に設立され、同じく東京に乗り入れることとなったエバー航空も同じく成田空港ではなく羽田空港に発着するようになった。しかし、成田空港暫定第2滑走路が供用された2002年4月18日、両社とも発着地を羽田空港から成田空港に変更したが、2010年10月の羽田空港再国際化に伴いエバー航空とともに8年半ぶりに羽田空港発着便の運航を再開している。
※この「長らく続いた羽田空港発着」の解説は、「チャイナエアライン」の解説の一部です。
「長らく続いた羽田空港発着」を含む「チャイナエアライン」の記事については、「チャイナエアライン」の概要を参照ください。
- 長らく続いた羽田空港発着のページへのリンク