成田空港開港後
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1978年(昭和53年)に新東京国際空港が開港し、中華民国(台湾)の航空会社であるチャイナエアライン(中華航空)を除く国際線定期便は全て成田空港に移り、羽田空港は、国内線専用空港となった。 成田空港開港後も、チャイナエアラインのみは成田空港には移転せず羽田空港発着となった。この理由は、1974年1月に日本と中華人民共和国の中国共産党政府との間で締結された日中航空協定における予備交渉の席で、中国共産党政府代表団は日中間での航空路線開設後も、日本と中華民国との路線維持に異議こそ唱えなかったものの「中華民国の国旗である青天白日旗を付けた中華航空機と同時に乗り入れる気持ちはない」と立場を表明した。1974年1月に日本側でまとめた外務・運輸両省案の中で「中国民航は成田空港を使用し、中華航空は羽田空港を使用する。なお、成田空港開港までは暫定的に羽田空港を双方が供用するようにするが、所要の時間帯調整を行う」と定められたためである。 ところが、中華民国政府はこの「外務・運輸両省案」に示された中華航空の社名と機上の旗に関する問題を、「日華(日本と中華民国)の2国間のみの問題」ではなく、中華民国と中共間の問題ととらえ、妥協をすることがなかった。その結果、1974年4月20日を最後にチャイナエアラインによる日本乗り入れが中断されたが、翌1975年7月1日の参議院における外務委員会において、宮沢喜一外務大臣が中華民国側の主張に沿った答弁を認める措置を採り、同年8月10日に再開された。 成田空港の開港後も、羽田空港発着であったチャイナエアラインは都心に近く空港アクセスが良いうえ、空港旅客サービス料が無料であるほか、国内線との接続が良いなどのプラス面を享受した。同社の台北経由便を利用してアジア各国やホノルルへ行く利用者が増加し、同社はこの恩恵を四半世紀にわたり享受することとなる。1989年には中華民国の新規参入航空会社であるエバー航空も羽田空港発着で乗り入れを開始した。2002年には早朝・深夜枠を利用したグアムやアジア各国へのチャーター便の運航が始まったものの、同年4月18日に成田空港のB滑走路が暫定供用を開始したことに伴い、チャイナエアラインとエバー航空は成田空港発着となったが、2010年の再国際化に伴い再び羽田空港に発着するようになった。
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