成田空港開港後とは? わかりやすく解説

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成田空港開港後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:43 UTC 版)

東京国際空港」の記事における「成田空港開港後」の解説

1978年昭和53年)に新東京国際空港開港し中華民国台湾)の航空会社であるチャイナエアライン中華航空)を除く国際線定期便全て成田空港移り羽田空港は、国内線専用空港となった。 成田空港開港後も、チャイナエアラインのみは成田空港には移転せず羽田空港発着となった。この理由は、1974年1月日本中華人民共和国中国共産党政府との間で締結され日中航空協定における予備交渉の席で、中国共産党政府代表団は日中間での航空路線開設後も、日本中華民国との路線維持異議こそ唱えなかったものの「中華民国の国旗である青天白日旗付けた中華航空機同時に乗り入れる気持ちはない」と立場表明した1974年1月日本側でまとめた外務運輸両省案の中で「中国民航成田空港使用し中華航空羽田空港使用する。なお、成田空港開港まで暫定的に羽田空港双方供用するようにするが、所要時間帯調整を行う」と定められたためである。 ところが、中華民国政府はこの「外務運輸両省案」に示され中華航空社名機上の旗に関する問題を、「日華日本中華民国)の2国間のみの問題ではなく中華民国中共間の問題ととらえ、妥協をすることがなかった。その結果1974年4月20日最後にチャイナエアラインによる日本乗り入れ中断されたが、翌1975年7月1日参議院における外務委員会において、宮沢喜一外務大臣中華民国側主張沿った答弁認め措置を採り、同年8月10日再開された。 成田空港の開港後も、羽田空港発着であったチャイナエアライン都心近く空港アクセス良いうえ、空港旅客サービス料が無料であるほか、国内線との接続良いなどのプラス面享受した同社台北経由便利用してアジア各国ホノルルへ行く利用者増加し同社はこの恩恵四半世紀にわたり享受することとなる。1989年には中華民国新規参入航空会社であるエバー航空羽田空港発着乗り入れ開始した2002年には早朝深夜枠利用したグアムアジア各国へのチャーター便運航始まったものの、同年4月18日成田空港B滑走路暫定供用開始したことに伴いチャイナエアラインエバー航空成田空港発着となったが、2010年の再国際化に伴い再び羽田空港発着するようになった

※この「成田空港開港後」の解説は、「東京国際空港」の解説の一部です。
「成田空港開港後」を含む「東京国際空港」の記事については、「東京国際空港」の概要を参照ください。

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