鈴木宗男との関係
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叩き上げ・議員秘書という共通点から、小泉政権下で失脚・逮捕・起訴されることになる鈴木宗男とは親しい間柄で、鈴木は飯島を通じて小泉とも実は近しい関係にあった。鈴木はアメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタン侵攻の際、小泉の特使としてタジキスタンを訪問(その際には後に鈴木に連座する佐藤優が通訳として同行)、エモマリ・ラフモノフ大統領から、米英軍に対する「領空通過」、「国内の基地使用」の成果を引き出している。小泉政権下の日米関係は、戦後最良と言われるほど親密であったが、それに対する鈴木の貢献は決して少なくない。 だが、その後鈴木を取り巻く状況は一変する。鈴木の圧力によるとされる、NGO出席拒否事件の発覚で政局は大混乱を来す。その際に飯島は田中真紀子外相、野上義二外務事務次官両名の更迭と鈴木の衆議院・議院運営委員会委員長辞任で事態の収拾を図ろうとする。その際鈴木は二つ返事で飯島の申し出を快諾している。後に鈴木は、週刊新潮に寄せた手記の中で飯島から申し出があったことを明らかにしている。 鈴木は政界復帰を果たした郵政選挙後の特別国会で、郵政民営化法案には反対票を投じる傍ら、首班指名選挙においては小泉に票を投じている。一方飯島は田原総一朗との対談で田中更迭について次のように語っている。「あの人の官僚をひたすら罵倒する姿勢は、いたずらに士気を低下させるだけ」と田中の政治手法を激しく批判。飯島は安倍内閣が2007年3月27日に閣議決定を行った「公務員制度改革」についても真っ先に慎重論を唱えている。
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鈴木宗男との関係
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「佐藤優 (作家)」の記事における「鈴木宗男との関係」の解説
1991年9月、日本が独立を承認したバルト三国に政府特使として派遣されてきた鈴木宗男の通訳や車の手配などを佐藤が務めたことを機に、鈴木と関係を築く。主任分析官となった背景にも鈴木の威光があったとされる。このとき、鈴木とともに仕事をし、鈴木から「外務省のラスプーチン」というあだ名を付けられたという。「日本のシンドラー」と呼ばれたリトアニア・カウナス元総領事の杉原千畝の名誉回復においても、外務政務次官であった鈴木と共に尽力した。しかしこのことが外務省幹部の怒りを買ったという説もある。一般には外務省としては、杉原は訓令違反で退職した元職員であり、名誉回復をさせることは外務省の非を公に認めることにつながるからであるとされる。
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