金融行政の分離と財務省への名称変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:25 UTC 版)
「大蔵省」の記事における「金融行政の分離と財務省への名称変更」の解説
1998年(平成10年)6月22日、金融監督庁の設置に伴い、大蔵省では、銀行局及び証券局が廃止され、金融企画局が置かれる。これにより、大蔵省は、民間金融機関への検査監督権限を失うこととなる。 2000年(平成12年)7月1日、金融監督庁が金融庁に改組されるのに伴い、大蔵省では、金融企画局が廃止される。これにより、大蔵省は、金融制度の調査・企画・立案権限をも失うこととなる。 2001年(平成13年)1月6日、中央省庁再編により、大蔵省は財務省に改称される。この結果「財政・金融機関の分離(財金分離)」が進められ、かつての大蔵省の所掌事務は、財務省と金融庁に引き継がれている。中央省庁再編は、政治の主導権を官から政へ移すため、強過ぎる大蔵省の力を削ぐ目的があったとの見方もある。 日本では、大蔵省という名称が大宝律令以来、約1200年前から使われて来ており、明治維新で復活してからも、その名称は変わらず、再編時には長年使用されて来た名称の変更に、反発する大蔵官僚の声も多く発せられた。これに対して、橋本龍太郎は「では検非違使庁を復活させるか」と皮肉ったという。この件については大蔵官僚以外でも、たとえば元外交官・駐タイ大使の岡崎久彦のように「伝統ある大蔵省の名を財務省に変えたのは官僚の士気高揚という国民の利益にとってマイナス効果しかない、こんな無意味な改革はいつか元に戻すべき」と酷評する者もいた。 結局、1964年(昭和39年)に当時の池田勇人首相が揮毫した大蔵省の門標も片付けられ、新しく財務省の看板が設置されると、涙を飲んで大蔵省との別れを惜しむ官僚もいた。その最たる者が最後の大蔵大臣(元大蔵官僚で初代財務大臣)となった宮澤喜一である。 大蔵省最後の日、記者の「やはり感慨がありますか」との問いに、宮澤は「まあこの(門の)下から出征もしたからね」と憮然として答えた。なお英訳は両者とも Ministry of Finance である。 諸外国の財政官庁、財政担当大臣は、アメリカ合衆国財務省など少数の例外を除いて、日本と同様に大蔵省・大蔵大臣と翻訳されてきたが、この改称以降は、財務省・財務大臣と訳すのが通例となっている。記述によっては、それ以前に遡って改称している場合もある。
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