野党への転落と政権復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:00 UTC 版)
「中国国民党」の記事における「野党への転落と政権復帰」の解説
1996年には中華民国の国民による総統選挙に移行し、2000年の総統選挙で民進党の陳水扁に敗れて歴史的に初めて野党になり、2001年には立法院(議会)でも第2党になった。 2005年、党主席の連戦らが北京を訪問。中国共産党総書記・中華人民共和国主席の胡錦濤と会談した。両党トップの会談は1945年の蔣介石と毛沢東による重慶会談以来60年ぶりで、台湾独立反対という姿勢で一致した。翌2006年には共産党との交流協議の枠組みである両岸経済貿易文化フォーラム(国共フォーラム)を設置した。 2008年に立法院第1党に返り咲くとともに、国民党の馬英九が総統選挙に勝利し、8年ぶりに政権与党の座に復帰した。同年には呉伯雄主席が与党党首としては初めて訪中して胡錦濤と会見し、北京オリンピックの開会式と上海万博開幕式にも出席した。2009年に馬英九が国民党主席に当選した際は胡錦濤から祝電がおくられている[信頼性要検証]。 2012年の立法院選挙では第1党を守り、総統選挙でも再選を果たした。同年の中国共産党第十八回全国代表大会では国民党中央委員会が初めて祝電を打ち、習近平が中国共産党総書記に選出された際は馬英九が異例の祝電をおくった。習近平総書記も国民党で新たな主席が当選するたびに祝電をおくっている[信頼性要検証]。 2015年11月7日、シンガポールのシャングリラホテルで、馬英九は習近平と1949年の中台分断後初となる中台首脳会談を行った。 2016年に行われた総統選挙にて、総統候補の朱立倫主席は、民進党の蔡英文主席に敗れて、国民党は再び野党となった。 2018年に行われた統一地方選挙にて躍進し、民進党の牙城だった高雄でも議席を獲得した。 2020年に行われた総統選挙では国民党候補の韓国瑜が現職の蔡英文に敗北し、同時に行われた立法委員選挙でも3議席を増しただけで民進党に過半数を維持されることとなった。香港で民主化デモが起きてから国民党の総統選候補は支持率が逆転しており、香港情勢で対中姿勢が警戒された影響とされる。
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