野党リーダー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:57 UTC 版)
「アンジュ=フェリクス・パタセ」の記事における「野党リーダー」の解説
1979年のクーデターにより再びダッコ政権ができると、パタセは中央アフリカ人民解放運動 (MLPC) を結成して大統領選に立候補し、1981年3月15日の選挙において38%の支持を獲得してダッコに次ぐ2位の得票を得た。特に首都バンギにおいてはダッコの得票を上回っていた。これに対し、パタセは大統領選挙の不正を訴え、ダッコと対立した。 1981年9月1日、参謀総長アンドレ・コリンバがクーデターを起こしてダッコを追放すると、パタセはコリンバに対しても反政府運動を行った。1982年3月3日、パタセはフランソワ・ボジゼ将軍らと協力してクーデターを行ったが失敗し、パタセはフランス大使館に逃げ込み、4月13日にフランス軍機によってトーゴへと亡命した。
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