酒ぬのや本金酒造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 03:28 UTC 版)
酒ぬのや本金酒造株式会社(さけぬのやほんきんしゅぞう)は、長野県諏訪市にある日本酒メーカー。諏訪五蔵のひとつ[2]。
注釈
- ^ 1880年(明治13年)、伊三郎・恒由への追賞の際、当時の当主に対して「其方祖父伊三郎、父恒由」と前置きがなされた[4]。『酒蔵で訪ねる信州』によると、恒由は3代目にあたる[5]。
- ^ 伊三郎は小エビ、恒由はシジミを諏訪湖に放流したという[5]。
- ^ a b 資料によっては「一若葉会」とも。のちの「全国清酒評議会」の発端である[7](かっこ内は原文ママ、なお全国清酒協議会は現在の日本酒造青年協議会である[8])。
- ^ 宮坂 亨(みやさか あきら、1914年(大正3年)7月24日 - )は、日本の醸造家。父は伊三太。1936年(昭和11年)、大倉高等商業学校(現・東京経済大学)を卒業後、1937年(昭和12年)から醸造試験所へ高等講習生として入所した。それも束の間、日中戦争勃発により野砲兵第20連隊(栃木県宇都宮市)に招集され、輜重特務兵として1940年(昭和15年)1月まで兵役に就いた。帰郷後、若葉会[注 3]創立に携わり、同会の2代目会長に就任。1955年(昭和30年)には「諏訪市酒造業青壮年夏季大学」を企画している[6][7]。
- ^ 「本金」という銘柄の由来について、『信州地酒がいど(76年版)』には「母君の名・銀(ぎん)にあやかっての故」(引用、原文のルビはかっこ書きで示した)とある。本書出版当時の当主は宮坂亨で、素朴で民芸的な味を出すことを目標としていた[4]。
出典
- ^ “Suwa Visitors Guide” (英語). Tourism Section of the Economic Department of Suwa City, Suwa Tourist Association, Tourist Infomation Center, Suwa Lake Hot-spring Hotel Association. 2018年10月28日閲覧。
- ^ a b “諏訪五蔵について”. 諏訪五蔵. 2018年11月4日閲覧。
- ^ a b c 『信州の日本酒と人』162 - 164ページ。
- ^ a b c d 『信州地酒がいど(76年版)』98 - 99ページ。
- ^ a b c d e f 『酒蔵で訪ねる信州』186 - 187ページ。
- ^ a b 宮坂亨「杜氏の戦地への手紙」『日本釀造協會雜誌』第75巻第12号、日本醸造協会、1980年、972 - 973頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1915.75.972、ISSN 0369-416X、NAID 130004110692。
- ^ a b 宮坂正昭「うす塩・甘塩・マイルド 低食塩味噌あれこれ」『日本釀造協會雜誌』第75巻第12号、日本醸造協会、1980年、960 - 965頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1915.75.960、ISSN 0369-416X、NAID 130004110690。
- ^ “日本酒造青年協議会概要”. 日本酒造青年協議会. 2018年11月14日閲覧。
- ^ a b c “コトバンク 本金とは([日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説)”. 2018年11月19日閲覧。
- ^ 『商工名鑑』128ページ。
- ^ “Search Results (IWC 2017; Silver; Nagano, Japan)” (英語). William Reed Business Media. 2018年11月5日閲覧。
- ^ 第 65回長野県清酒品評会の表彰式を開催します - 長野県庁(2018年9月18日)
- 1 酒ぬのや本金酒造とは
- 2 酒ぬのや本金酒造の概要
- 3 脚注
- 酒ぬのや本金酒造のページへのリンク