道徳、思想的な観点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:49 UTC 版)
創作物についての諸外国の規制は、いわゆるリーガル・モラリズムに立脚したものであるが、ある個人の行為が、たんに道徳的でないことを理由として、その当人のものではない特定の価値観を、外部から法によって国家権力が強制的に実現すべきことを主張するリーガル・モラリズムは、充分な判断能力をもつ個人の自己決定権(ことに精神的自由権)を擁護するリベラリズムとは鋭く対立する。[要出典]ただし、パターナリズムは、充分な判断能力をもたない人々を彼ら自身の利益のために彼ら自身から守るものであるかぎり、リベラリズムと調和する。 またリーガル・モラリズムは、不快感情を根拠として他者の自由の制限を求める不快原理(ただし不快物非公開の原則は、リベラリズムと調和する)によって助長されるものであるが、弁護士で衆議院議員の枝野幸男は、2008年7月のオープンミーティングで、法と倫理の区別をはかる立場から、不快感情を根拠とした規制が、ポルノグラフィ全般の規制に及ぼされることに危惧を表明している。 なお社会学者の宮台真司(首都大学東京)は、リーガル・モラリズムに関し、日本における児童ポルノ規制法が、青少年の人権を擁護する法案から青少年の道徳を規定する法案へと変容しているとの認識を示しており、日本国憲法第19条「思想・良心の自由」に規定される「法と道徳の分離」の原則、すなわち法は道徳を命令してはならず、道徳的に中立な法の下、市民同士が何が道徳的かをめぐるコミュニケーションをすることのみを許容するという原則に対する理解の欠如によって、「市民が自己責任でなすべき道徳的コミュニケーションが、「お上」に委ねられてしまう」として批判している。[要出典] また、東京大学名誉教授で、法学者の奥平康弘は、成人向けコミック規制の是非をめぐる裁判で、一般に成立している慣習倫理を根拠とした規制論を退けており、表現の自由の本質が少数者の利益を確保することにあるからには、「一般の人々が「いいんじゃないの、これは」ということがしきたりとして成り立っていて、議論をしないで「そういうもんだろう」と思っていること」(すなわち世論)を基準とすることはできないと論じている。なお青少年の健全育成をかかげた規制論については、発展過程にある子どもを基準として、「大人の読むことのできる領域を子供の読む領域まで下げてしまう」ことは、「あらゆる表現領域で表現の自由を保障する意味を完全に失わせることになる」と論じている。 「検閲」および「モラル・パニック」も参照
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