道徳の動機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/26 02:50 UTC 版)
定言命法という考えによれば、適切な理由・理性(reason)は常に特定の道徳的行動を導く。だが、上記で述べたように、フットはそのようには考えない。彼女によれば、人間は実のところ、欲求に動機づけられている。この観点から見ると、適切な理由・理性によって、人は自らが欲するものを得るための行為を見出すことができる(仮言命法)。そして、その行為は必ずしも道徳的なものではない。 社会構造や社会的動機は、ある意味において道徳に拘束力を持たせることができるが、それはただ道徳規範を逃れがたいように感じさせているにすぎない、とフットは述べる。加えて、ジョン・ステュアート・ミルは、他者を満足させようという外的な圧力もまた、この感覚的な拘束力に影響を与えるとし、彼はそれを人間の「良心(conscience)」と呼んだ。ミルによれば、人間はまず、何が道徳的であるかを推論(reason)し、しかる後、自らの理由・理性に整合的なように自らの良心の感情を整えるよう努めねばならないという。それと同時に、良い道徳体系(彼にとっては功利主義)は究極的には人間の本性の諸側面に訴えかけるものだとミルは考えた。そしてその本性は、しつけによって身につけられねばならないものだとされる。ミルは次のように論じている。 人類の社会的感情こそが堅固な基礎である。それは、同胞と繋がりを保っていたいという欲求であり、人間の本性にもともと備わった力強い原理だ。ありがたいことに、言葉で教え諭さずとも、文明の進歩の影響のおかげで、この原理は力強さを増しましている。 ミルの考えでは、道徳的行動を突き動かしているのは感情であるが、一部の人々(例:サイコパス)にはそのような感情が欠けている、ということを認識することが重要だという。ミルはさらに、人々が確実に良心を育み、道徳的な行動をとるよう促す要因について論じた。また、ジョセフ・ダライデンのような思想家は、社会が科学を用いて、人々をより善良にする可能性を高めるにはどうすればよいかを考察した。
※この「道徳の動機」の解説は、「規範倫理学」の解説の一部です。
「道徳の動機」を含む「規範倫理学」の記事については、「規範倫理学」の概要を参照ください。
- 道徳の動機のページへのリンク