運行と終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:18 UTC 版)
マウントカーが走行する道路はマウントカー専用道路で、一般車両や歩行者の立ち入りは禁止されていたこともあり、荒涼とした溶岩地帯を走るバスは観光客からは好評を博し、観光シーズンにはマウントカーはフル稼動となった。特殊仕様のバスゆえに台数は少なく、バス10数台を連ねて来る修学旅行客の対応には苦労したという。 1970年代後半に阿蘇中岳の火山活動が活発化した。1979年9月6日に阿蘇第一火口が爆発した際には、死者3人・負傷者11人を出す大災害となった。この時、ロープウェイの火口東駅舎にも被害が出たが、駅舎は爆風によりガラスが吹き破られ、噴火に備えて重厚に作られていた厚さ25cmの鉄筋コンクリート壁にも、火山弾により穴が開いてしまったほど激しいものであった。これほど激しい噴火災害は1958年6月24日に死者12名・負傷者28名を出して以来のことで、それはマウントカーの運行開始前だった。いかにマウントカーが通常のバスと比較して強度があるとはいえ、この規模の火山爆発事象に対しては無力に等しく、観光客の安全を確保することは出来なかった。 その後も火山活動は活発な状態が続いたため、1980年には路線は廃止され、マウントカーが通行する道路も通行禁止となった。 廃止後の車両はほとんどが一般路線車に改造され、最終増備車の1977年式のMP117Mも中扉増設し一般路線車となり玉名営業所へ配置、熊本~玉名線で晩年過ごした。改造後の外見は一般路線車両と全く変わらないスタイルであったため、かつて当車両が阿蘇山火口近隣を走っていたマウントカーだった事を知る者はあまりいなかった。 その後、全て廃車となっており、現存・保存車両はない。
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