連結、急行運転の主力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:53 UTC 版)
「阪神301形電車」の記事における「連結、急行運転の主力」の解説
301形各形式登場前後の阪神本線の乗客増は抜本的な対策を必要としており、連結運転の申請に際しては大阪府、兵庫県の両知事が内務・鉄道の両大臣にその必要性を具申しているほか、沿線住民からの輸送力増強に関する陳情も会社を経由して上申されていた。これらの結果、前述のとおり1921年9月6日にスピードアップと全線での2両連結運転が許可され、同年11月7日から阪神本線において急行運転と2両連結運転が開始された。翌1922年11月8日からは西宮駅に追い越し設備が完成したことにより、同駅での緩急接続運転を開始、301形各形式は主力車両として直接制御で路面電車スタイルの1・51形を置き換えるとともに輸送力の増強に貢献した。また、1922年に大阪市内(野田 - 梅田間)が、1923年には神戸市内(岩屋 - 滝道間)がそれぞれ単架線化されると、各形式ともマイナス側のポールを撤去してシングルポール化された。1925年には301 - 321の各形式と331形との共通運用を図るために連結器をバンドン式からトムリンソン式に、制御器を手動加速式のMKから自動加速式の芝浦製作所RPC-50(301・311形)、PC-5(321形)にそれぞれ換装された。捻出された制御器と連結器は、同時期に新造された401形に流用されたものと推測されている。その後、1931年以降に塗色を青色から茶色に変更したほか、パンタグラフ化の実施に伴い、ポールを東洋電機製造製のTDK-G形パンタグラフに換装した。
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