追放者への給付
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 15:41 UTC 版)
財産を失って追放された多数のドイツ人の生活を再建し、新しい国に統合していくことは、戦後ドイツに課せられた大きな課題であった。このために1949年に緊急援助法(Soforthilfegesetz)を制定し、社会的な観点から給付を与え、そのための課税を行った。それと同時に、最終的な負担の平衡を目ざす制度の検討が進められた。 こうして1952年に登場したのが、負担平衡法(Lastenausgleichsgesetz)である。この法律は、戦時中と戦後の追放と破壊、および通貨の新秩序によって生じた損害や困窮をバランスさせるために、課税と資金拠出で財源を確保し、それを連邦の特別会計(平衡化ファンド)に入れ、ここから援助を必要とする被害者に損害の重大さに応じて給付を与えることを目ざした。その後、この法律は何回も改正され、補助的な法律も制定されているが、戦争被害に関する給付と財源確保の基本を定めているのがこの負担平衡法である。その後の東西対立により、この方式による給付は、東ドイツを逃亡して来た者にも適用されるようになった。 給付については、失った財産額を確定し、その大きさに比例する形で行われている。財源として、最も重要であったのが、戦時中と戦後にわたって財産を維持できた者への課税である。爆撃によって多数の建築物が破壊されたが、破壊を免れた不動産もかなりあり、追放されて来た者と非常に対照的であった。そこで、不動産を中心とする財産を維持している者に対し、その財産の半額を徴収することが定められた。半額を30年と長期に分割すると、年納税額は財産額の1.67%となるので、財産を売却せず、財産所有者の収入から納付することができると考えられた。その後の物価と不動産価格の上昇により、負担は次第に軽くなっていき、1970年代に入ると、財源は一般財政からの拠出が中心となっていった。 1990年の東西ドイツ統一により、東ドイツからの逃亡者が失った財産を回復できるケースが生じ、与えた給付の扱いが問題となった。そこで法律が改正され、財産を回復できた者は当該財産に関して、受け取った給付を返還すべきことが定められた。返還された金額は特別会計に入れられ、追放後に旧東ドイツに滞在することとなったため給付を受け取ることができなかった追放者のために利用される。 負担平衡を扱っている連邦機関は、戦後の負担平衡制度について、「当初の悲惨な状況から判断すると、巨大な挑戦」であったが、結果的に「ドイツ連邦の民主主義を実証」することとなり、「この負担平衡に関する連帯の考えは、ドイツ連邦共和国で平和で経済的、そして社会的に成功した発展が行われる真の基礎となった」と振り返っている。
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