近現代の猿橋とは? わかりやすく解説

近現代の猿橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:19 UTC 版)

猿橋」の記事における「近現代の猿橋」の解説

明治期には富岡鉄斎1875年明治8年)と1890年明治23年)に山梨県訪れている。鉄斎甲府商家大木家などに滞在しており、大木家資料大木コレクション)には「甲斐猿橋図」が残されている。 1880年明治13年)には明治天皇山梨県巡幸行い同年6月18日猿橋渡っている。三代広重は『諸国名所内 甲猿橋遠景』においてこの時の様子描いている。 1932年昭和7年3月国の名勝指定された。名勝指定され当時所在地であった大原村が、管理手がかかるため所有拒否したため、猿橋はどこにも管理されていない無所属の状態であり、修理必要な国の補助金受けられない状況続いた。この問題は、1963年昭和38年になって大月市所有決定し現在に至っている。 1934年上流に新猿橋造られ国道当時国道8号、現在は山梨県道505号)はそちらを通るようになった1973年昭和48年)には別の猿橋下流造られ国道20号が通るようになった。これら二つは今も並存する。古い猿橋継承するものとしては、H鋼に木の板を取り付け、岸の基盤コンクリート固めたが、1984年昭和59年)に架け替えられた。これが現在の猿橋で、部材を鋼に変えて1851年嘉永4年)の復元したのである。 なお、1902年明治35年)に中央本線鳥沢 - 大月間が開業した際には猿橋の脇を通っていたため、列車内から眺められた。しかし、1968年昭和43年梁川 - 猿橋複線化の際に途中駅鳥沢駅から新桂川鉄桂川渡り猿橋トンネル通過して猿橋駅に至る南回りルート変更されたため、車窓から眺めることはできなくなった

※この「近現代の猿橋」の解説は、「猿橋」の解説の一部です。
「近現代の猿橋」を含む「猿橋」の記事については、「猿橋」の概要を参照ください。

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