近現代の海賊被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 15:54 UTC 版)
近年の日本国内では、第二次世界大戦後の連合国軍の占領下で治安が悪化していた混乱期に、イギリス軍とアメリカ軍の占領地域となった瀬戸内海で海賊事件が続発した事がある。例として1948年12月-1949年2月の3ヶ月間だけでも、1948年12月19日に香川県の高見島付近で、12月21日には岡山県の児島市で、1949年1月29日には香川県の粟島付近で、2月1日には岡山県の石島で、2月4日には岡山県の牛窓町付近で、それぞれ船舶が襲われるなど、この時期の瀬戸内海では海賊事件が続発していた。 瀬戸内海同様、米軍占領下の横浜港でも海賊行為が横行していた。横浜では海賊行為は「荷抜き」あるいは「抜荷」と呼ばれた。これは船の荷のほんの一部だけを強奪するという手口に由来している。なぜ船ごと奪わずこうした方法をとったかといえば、横浜での海賊行為は港の検数員を抱き込んでいる場合が多く、積み荷全体の二割までであれば海上保険が適用されたため、大事に至らずに済んだためだと考えられる。横浜港の接収解除が進んだのが1955年頃だったせいもあり、「荷抜き」は1950年代中半までつづいた。 現代の海賊は、マリントラフィックなどで標的の位置を調査し、トランシーバーやスマートフォンで連絡を取り合いながら小型の高速艇で接近、自動小銃で脅して人質を取るという効率化された小規模な犯罪者集団となっている。これは操船の自動化が進んだことにより、タンカーなどの大型船舶の操縦が少人数でも可能となり、乗組員が少なくなったため、襲撃と船内の制圧が行いやすくなったことも関係している。 海賊事案の発生状況は、海上保安庁が発する「航行警報」により知ることができる。
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