近現代の昇仙峡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 09:29 UTC 版)
1887年(明治20年)には「御嶽昇仙峡」が命名され、大正時代には甲府市内から昇仙峡までの道路が次々と整備されて定期バスが乗り入れるなど観光地として一新された。 1902年(明治35年)には、正岡子規の門人で山梨県を拠点に活動を行った新免一五坊や「白雛会」を主催した堀内柳南、神奈桃村ら山梨県の俳人が甲府市で「山梨文学大会」が開催される。同年8月25日には昇仙峡の御嶽新道へ赴いており、翌26日には甲府太田町望仙閣で批評会を行った。 1923年(大正12年)には、断崖絶壁・滝・奇岩・侵食・紅葉・アカマツ・岩山・荒々しい川の流れと植物が一体となった景観が評価され、史蹟名勝天然紀念物保存法により名勝指定を受けた。戦後には、1950年(昭和25年)に渓谷百選の一位に選ばれ、1953年(昭和28年)には文化財保護法により特別名勝となる。 近代には山梨県の主要産業として観光業が振興される。1972年(昭和47年)には御岳昇仙峡有料道路(現在無料)が開通し、甲府市や山梨県の主要な観光地として整備された。1977年(昭和52年)にバス転落事故が発生し、死者11名負傷者34名が被害に遭った。 2009年には読売新聞社主催の読者が選ぶ「平成百景」において、富士山に次ぐ第2位に選ばれた。
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