近現代の戦闘における文民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 20:28 UTC 版)
近現代戦における文民の地位は、実際のところ曖昧なままである。戦闘中に起こり得る以下のような現象が、この問題を複雑にしている。 現代における戦闘の多くは本質的に内戦であり、戦時国際法の適用が難しく、戦闘員と文民の区別も維持しがたい。 ゲリラ戦やテロリズムは、いずれも戦闘員が文民を巻き込むことを前提としている場合が多い。 「効果ベース戦争」、すなわち敵戦闘員への攻撃よりも敵国の体制の力を削ぐことを重視するのドクトリンが発展を続けており、発電所など文民に属するものが攻撃対象となり得る。 ローフェア(英語版)の一環として、敵に文民を攻撃させ国際法違反の誹りを受けさせ信用を落とすために、人間の盾戦法がとられることがある。 徴兵制度が浸透しているなどして、大半の大人が軍事訓練を受けている社会においては、さらに文民の定義があいまいになる。これはイスラエル・パレスチナ紛争においてよく指摘される論点である。 1980年代初頭以降、近代戦における犠牲者の90パーセントは文民である、という主張がなされるようになった。この言説は広く受け入れられているが、実際のところよく引き合いに出されるユーゴスラビア紛争やアフガニスタン紛争などにおいてもエビデンスに基づく詳細な検証により立証されたわけではない。 21世紀初頭、文民の法的位置づけについては、様々な問題をはらみつつも、メディアや国連において広く注目を集める議題となり、危機にさらされた住民を保護するという名目で軍事力の行使が正当化された。 本来、文民は本質的に戦争の受動的な傍観者であると考えられているが、時には彼らが戦闘の中で積極的な役割を負うこともある。例えば1975年、モロッコ政府がスペイン植民地である西サハラへの領有主張を実現するべく、組織的に文民を越境させる緑の行進を実施した。同時にモロッコ軍も、秘密裏に西サハラへの侵攻を果たしていた。さらに文民は、非戦闘員の地位を放棄しないまま、独裁政権や他国の占領軍などに対して非暴力運動などで抵抗することがある。このような行動は戦闘員による戦闘やゲリラ的暴動と同時並行して発生することがあるが、多くの場合、抵抗運動を行う文民はそうした明確な軍事組織や軍事行動と一線を画している。
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