近現代の慈照寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:11 UTC 版)
「慈照寺 (甲斐市)」の記事における「近現代の慈照寺」の解説
慶応4年(1868年)3月、明治新政府は神仏分離令を発し、廃仏毀釈運動が起こる。慈照寺境内にも鎮守である富士浅間神社・稲荷社・諏訪社などが合祀されていたが、特に大きな影響は見られない。幕末期の住職は二十八世・大翁遊仙で、慶応4年7月には新政府に由緒書を提出している。明治初期には山梨県内の曹洞宗寺院においても末寺の統合・檀家の吸収が行われ、寺院数は減少する。明治28年の由緒書に拠れば、明治10年に慈照寺は内務省に対して規模縮小願を地出し、一部の堂宇・回廊を破却する。 1903年(明治36年)には中央線が開通し、同年12月15日には竜王村においても竜王駅(甲斐市竜王新町)が開業する。中央線は慈照寺南方を通過し、線路敷設に際して参道が分断されている。
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