近代の攻城兵器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 01:34 UTC 版)
火薬、火縄銃のような小火器と火砲の出現により、臼砲と野戦砲も発展した。 これらの兵器は城郭都市のような防御構造物に対して非常に効果的なことが確かめられ、ヴォーバンの設計が例証するように、これら防御物はより低く、厚みを持った構造を持たねばならなくなった。 専門の攻城砲の開発は野戦砲とは別個に行われ、第一次世界大戦の期間中と第二次世界大戦で頂点に達した。第一次世界大戦中、ディッケ・ベルタのような巨大な攻城砲が設計され、当時の最新型の要塞へ対抗するべく投入された。攻城砲は第二次世界大戦の初期において、ドイツのシュベアー・グスタフ砲(80cm列車砲)が建造され、頂点に達した。シュベアー・グスタフは当初、フランスのマジノ・ラインに存在する防御施設を粉砕するべく投入が計画されたが、しかし時期に間に合わなかった。マジノ・ラインは正面からの攻撃により破壊されるかわりに、急行する機甲部隊に迂回突破された。配置と輸送に長時間が必要だった最新の攻城砲は空爆に脆く、またこれらの欠点は、攻城砲を、現代戦で使用される急速な部隊の機動に不適なものとした。 攻城兵器は現在、航空機の兵器投射能力と巡航ミサイルの効果のために旧式とされている。これらは要塞による防御地域も旧式なものとした。今日、コストとして唯一効果のある静的な防御構造物は、地下深くのバンカーであり、これは軍用の指揮統制に用いられる。これら固定式の建造物の価値も疑わしく見えるもので、最も生残性のある機動防御を行う部隊、たとえば最新の戦術的・戦略的航空機、機甲部隊、機械化歩兵などの指揮統制は、分散された命令を介しており、また移動型の司令本部が用いられる。
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