近代の愛宕山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:45 UTC 版)
甲府市街に隣接しているため、愛宕山は近代に入りさまざまな利用がされてきた。1909年(明治42年)には甲府市初の上水施設平瀬浄水場が昇仙峡近くに建設されたが、約8キロの送水管で送られた上水は、愛宕山の西南中腹に設置された配水場へ一旦貯水され、ここから甲府の各家庭に水道水が送られた。 同時期には若尾逸平所有の山林を整備した若尾公園が愛宕山西南麓に整備され公開されたが、後に山梨英和女学校(現在の山梨英和中学校・高等学校)敷地の一部となっている。この若尾公園に隣接した高台には、1872年(明治5年)頃から、通称正午のドンと呼ばれた午砲台が置かれ、1936年(昭和11年)にサイレンが採用されるまでの約64年間にわたり正午を知らせる時計代わりとして市民に親しまれた。 1974年(昭和47年)には山梨県により前述した県立こどもの国、1998年(平成10年)には県立科学館が整備され、山頂からは甲府盆地のパノラマが広がり、現在も多くの市民に親しまれている。
※この「近代の愛宕山」の解説は、「愛宕山 (甲府市)」の解説の一部です。
「近代の愛宕山」を含む「愛宕山 (甲府市)」の記事については、「愛宕山 (甲府市)」の概要を参照ください。
- 近代の愛宕山のページへのリンク