近代の惑星
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 09:03 UTC 版)
1781年、天文学者ウィリアム・ハーシェルはおうし座の方角に彼が「彗星」と名付けた天体を観測している時、空に見つけにくい視差を発見した。高拡大率で見ても単なる光の点である恒星とは異なり、拡大率に応じてこの天体の大きさは拡大した。古代以来、地球以外の5つの惑星が宇宙であるという人類の共通認識があったため、ハーシェルはこの奇妙な天体が惑星であるという単純な考えには至らなかった。小惑星はまだ発見されておらず、彗星は望遠鏡で見える唯一の動く天体だった。しかし、彗星とも異なり、この天体の軌道はほぼ円で、黄道面上にあった。ハーシェルが彼の「彗星」の発見について公表する前、同僚のイギリス人で王室天文官のネヴィル・マスケリンは、「私はそれを何と呼ぶか知らないが、太陽の周りを非常に扁平な軌道で公転する彗星よりもほぼ円の軌道で公転する通常の惑星の方により近いと考える。また、彗星に見られるはずのコマや尾もまだ観測されていない」と手紙を送った。さらにその「彗星」は、単なる彗星なら自重で崩壊してしまうほどの遠くにあった。最終的に、この天体は7つめの惑星であると認識され、サターン(土星)の父の名前にちなんでウラヌス(天王星)の名前が付けられた。 天王星の軌道の不規則性に与える重力の影響により、1846年に海王星が発見され、また海王星の軌道の不規則性により、1930年に最終的に冥王星が発見された。当初は地球程度の質量であると見積もられていたが、観測の進展によりその大きさはどんどん小さくなって、当初の5%程度の大きさと、海王星の軌道に全く影響を及ぼさない程度になってしまった。1989年のボイジャー2号の観測により、この軌道の乱れは海王星の質量を過大に推定したことによるということが明らかとなった。
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