近代の抑制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 01:49 UTC 版)
「イスラーム世界の少年愛」の記事における「近代の抑制」の解説
純潔を保った少年愛に対する寛容性は、800年代以降、特に文学・宗教において一般的であったが、1800年代半ばに入ると西洋化されたエリートがヨーロッパにおけるビクトリア朝的道徳を採用するにあたって、衰退をはじめることになる。歴史的資料についても曲解・歪曲されたことが指摘されている。ハーリド・アル=ルアイヒブは、その前近代中東における同性愛の研究で、アラビア語・ペルシア語による恋愛詩など諸文学が、決まって異性間のものとされ、あるいはポストコロニアルのアラブ・イスラーム研究者の批評によっていかに価値をおとしめることになったかを報告している。アブー・ヌワースの今日でも広くアラブ世界全体で入手できる詩集は1932年にカイロで出版されたが、これは削除修正版であった。 イランについては、ジャネット・アーファリーによると、パフラヴィー朝期、イスラーム共和国期のいずれにおいても「古典ペルシア文学の詩人たち、すなわちアッタール(1220年頃没)、ルーミー(1273年没)、サアディー(1291年没)、ハーフィズ(1389年没)、ジャーミー(1492年没)、あるいは20世紀のイーラジ・ミールザー(1926年没)までも含む人々の詩集は、美少年、あるいは行為そのものへの露骨な言及とともに、同性愛的暗喩に満ちたもののままであったという。しかしながら「文学教授はこのような美しい同性愛詩が本来は同性愛でない、そして露骨な言及はすべて男性と女性のものとして教えるよう強制されたのだ」と述べている。 西洋の研究者も同様のことをしているという。1999年のスペクテーター誌所載の古典アラビア語詩アンソロジーへの評でR.I.ペンギンは、特集された詩人の少年愛詩を編集者が選別・誹謗したことを擁護している。「アーウィンがこの分野全体の概観について公正さを維持した点は賞賛に値するだろう。サナウバーリーは『自然な詩以外にもムザーカラートがあり、少年への詩がある。しかしこのアンソロジーについて我々は自然な詩を擁護する』といっている。実際のところ、自然な詩のほうがはるかに興味深いのだ」と。
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