近代の復興後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:25 UTC 版)
通奏低音にチェンバロを用いることはオペラにおいては19世紀まで残存したが、19世紀を通じて、チェンバロは実質的にピアノに地位を奪われていた。しかし20世紀に入って、古楽復興運動により、再びチェンバロが演奏されるようになると、さまざまな音色を求めるなかで、チェンバロに目を向ける作曲家も登場した。アーノルド・ドルメッチの影響の下、ヴァイオレット・ゴードン=ウッドハウス(1872-1951)、およびフランスではワンダ・ランドフスカがチェンバロ再興の最前線で演奏を行った。 チェンバロ協奏曲がプーランク、ファリャ、ベルトルト・フンメル、グレツキ、グラス、ロベルト・カルネヴァーレなどによって作曲され、マルティヌーはチェンバロのために協奏曲とソナタを作曲し、カーターの二重協奏曲はチェンバロ、ピアノと2つの室内オーケストラのために書かれている。 室内楽の分野では、リゲティがいくつかの独奏曲("Continuum"など)を作曲しているほか、デュティユーの "Les Citations" (1991年)はチェンバロ、オーボエ、タブルバスとパーカッションのために書かれている。その他、ショスタコーヴィチは『ハムレット』(1964年)でチェンバロを用いている。シュニトケはオーケストラ用作品でしばしばチェンバロを用いている。 日本の作曲家が取り組みはじめたのは戦後になってからであり、その数も多いとはいえないが、武満徹の「夢見る雨」(独奏曲)などが生まれている。 チェンバロ奏者でもあるヘンドリク・ボウマンは17世紀、18世紀の様式に基づいたチェンバロ独奏曲、チェンバロ協奏曲などを作曲している。
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