辻政信による偽命令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:43 UTC 版)
「バターン死の行進」の記事における「辻政信による偽命令」の解説
2013年に刊行された『蒋介石の密使 辻政信』(渡辺望、祥伝社新書)によれば、大本営参謀であった辻政信が、このバターン戦終了時にバターンにあらわれ、捕虜の集団処刑を企てる事件があったという。[要検証 – ノート] 辻は、この戦争は人種間戦争であるとして、「フィリピン人は、同胞であるアジア人を裏切って白人植民地主義者であるアメリカ人に味方したのだから処刑しろ」として、独断で「大本営から」のものとする偽の捕虜処刑命令を出したという。今井武夫に電話で捕虜処刑命令を伝えた松永梅一の談によると、辻政信が処刑命令を口頭で伝達して歩いていた。辻から偽命令を受け取った第65旅団の参謀らは直通電話で連隊長らに命令を広め、一部では実際に捕虜の処刑が発生したという。 今井武夫大佐は4月10日午前11時ごろ、第65旅団司令部の高級参謀松永梅一中佐から直通電話で、「日本軍は米比軍の降伏を全面的に承諾していない。したがって、米比軍の投降者は未だ正式に捕虜として容認されていないから、各部隊は手元にいる米比軍投降者を一律に射殺すべし」という大本営のもととされる命令を受け取ったが、今井はこれを拒否することを決意し、書面による命令を要求しつつ、直ちに千人以上の捕虜を全て釈放した。他にも、第十独立守備隊隊長の生田寅雄少将は、同様の命令を伝達されたが、部下と協議中に、部下がこの命令が偽物であると確認したため、実行を取り止めた。本間中将はこうした命令について死ぬまで知らず、彼の参謀長も戦後になり初めてその事実を知った。 一方、渡辺祐之介大佐率いる歩兵第百二十二連隊では、第65旅団長の奈良晃中将に電話で確認できたため、捕虜約五百人を下士官に命じ、刺殺、銃殺させたという。麾下には従軍中の台湾高砂族を指揮して、アメリカ・フィリピン両軍の将校多数を殺害した者もいた。今井や生田のように命令を拒んだものもいたが、このように完全に、あるいは部分的に実行した者もいた。前掲書の著者である渡辺望は、辻のこの策謀がもし完全に成功していた場合、太平洋戦争で最大級のジェノサイド事件になる恐れがあったとしている[要検証 – ノート]。 ただし、このような偽命令の虐殺を企画した辻政信は、#戦犯裁判にも記しているように、戦犯として逮捕・起訴されることはなかった
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