軍事衝突における運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 05:54 UTC 版)
「S-75 (ミサイル)」の記事における「軍事衝突における運用」の解説
戦闘における初のS-75使用は、1965年に勃発した第二次印パ戦争である。インド軍のS-75が、パキスタン空軍機1機を撃墜し、その後のパキスタン空軍の作戦行動に重大な影響を与えている。 S-75が大規模に投入されたのはベトナム戦争である。北ベトナム(当時)へのS-75の配備は1965年半ばに開始され、同年7月には初撃墜を記録した(被撃墜機はF-4 ファントムII 戦闘機)。しかし、本来大型航空機や高高度を飛ぶ航空機を目標に開発されたS-75で、高速の戦闘機に対処することは困難で、加えてアメリカ軍がECM(電磁妨害装置)を使用するようになると撃墜率はさらに低下した。1965年の段階で5.7%(11機撃墜/194発)だった撃墜率は、1968年には0.9%(3/322)まで低下した。 一方で、ベトナム戦争におけるS-75の評価は直接的な撃墜だけはでなく、システムの一部として捉える必要がある。S-75によってアメリカ軍は航空戦力の一部をワイルド・ウィーゼル(地対空ミサイル制圧任務)に割く必要が生じた。ミサイルを回避する機動は多量の燃料を消費するので、それを利用して米軍機にミッションを放棄させる戦術(ミッションキル)も多用された。ミサイルによって米軍機を低高度に追い込み、対空砲や短距離の地対空ミサイルで撃墜する戦術もよく知られている。ベトナム戦争終結までに、4,000発以上のソ連製地対空ミサイル(1972年からはS-125「ネヴァー」(NATOコードネーム:SA-3「ゴア」)も投入されている)が発射され、これによって撃墜された米軍機は100機近くにのぼっている。 ベトナム戦争中、S-75は一度だけ設計意図であった戦略爆撃機の迎撃に用いられた。1972年、ハノイ爆撃に出撃したB-52は、密集隊形を組み相互にECMでカバーしていたが、北ベトナム側は爆撃後、帰還のための旋回で密集体系が崩れる瞬間を待っていた。北ベトナム側は電子妨害を受けながらも、B-52の旋回ポイントに向けて無誘導のまま大量のS-75を撃ち込んだ。ミサイルは、彼らの期待通り旋回の瞬間に到達し、最終的に14機のB-52が撃墜された。 中東では、エジプトやシリアにS-75が配備され、第四次中東戦争などではイスラエルに対する高高度防空を担った。イランやイラクに輸出されたS-75は、イラン・イラク戦争や湾岸戦争で用いられた。
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