貞観地震の警告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:07 UTC 版)
「東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズム」の記事における「貞観地震の警告」の解説
千島海溝に沿った北海道の十勝沖から千島沖にかけては、これまでマグニチュード8クラスの地震が、約数十年おきに比較的規則的に発生してきたことが知られていた。しかし東北地方沖から房総沖にかけての日本海溝付近では、三陸沖や宮城県沖ではこれまでマグニチュード8クラスの地震が発生したことがあったことは知られていたが、地震発生の間隔や規則性ははっきりせず、また福島県沖から房総沖にかけては、1677年に房総沖でマグニチュード8クラスの地震が発生したと考えられるが、福島県沖と茨城県沖ではマグニチュード7クラスの地震が時々発生することが知られているのみで、これまでマグニチュード8クラスの地震の発生は確認されていなかった。 東北地方から房総沖にかけての日本海溝沿いでは、869年に発生した貞観地震が記録に残る最も古い地震である。しかし16世紀以前の地震は、記録が残っていないなど資料不足が原因で欠落があるものと考えられている。そのため近年、津波による堆積物の調査、地震による地割れや液状化現象による噴砂の跡などを調査によって確認し、記録に残っていない過去の地震について把握する研究が進められるようになった。 中でも最も注目されたのが869年の貞観地震であった。貞観地震については、六国史の日本三代実録に陸奥国で大地震が発生し、巨大な津波が押し寄せたことが記されており、早くも1906年には「歴史地理第8巻第12号」に、吉田東伍による論文が発表された。吉田は日本三代実録の記述を詳細に分析、検討し、貞観地震が陸奥国に極めて大きな被害をもたらしたことを明らかにするとともに、貞観地震の真の姿を知るために更なる研究の必要性を訴えた。しかしその後貞観地震についての研究はなかなか進まなかった。事態が変化したのは1987年、仙台市若林区荒浜で貞観地震のものと考えられる津波堆積物が検出された後のことであり、吉田の指摘から80年以上が経過していた。1990年には仙台平野で検出された津波堆積物の内容から、貞観地震の際、仙台平野に2.5-3メートル程度の津波が押し寄せたとの研究が発表され、その後2002年から2009年にかけて地震調査研究推進本部による津波堆積物調査が行われるなど、2000年代に入って貞観地震による津波によって形成された津波堆積物などの研究、分析が進み、東北地方太平洋沿岸の広い地域に津波が押し寄せていた実態が明らかになってきた。また貞観地震以外の津波堆積物も検出され、東北地方太平洋沿岸には数百年-千年程度のスパンで巨大な津波が押し寄せていたことも明らかになってきていた。これら最近の研究成果を踏まえ、地震調査研究本部の地震調査委員会では貞観地震など過去に東北地方太平洋沿岸を襲ったと考えられる巨大地震を考慮に入れた地震予測の更新を検討していたが、その結論を待たずして東北地方太平洋沖地震が発生してしまった。
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