貞観27年の謎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)
『西遊記』では第100回の三蔵法師の帰国を「貞観27年」のできごととしている。しかし唐代の貞観という年号は実際には23年(649年)までしかなく、貞観27年という年は存在しない。史実の玄奘が唐に帰国したのは同19年(645年)である。このようなずれが生じた最大の理由は、出発の年を大きく後ろへ移動させたことにある。史実で玄奘が出国したのは貞観3年(629年)であり、世徳堂本第13回で三蔵法師が出発したのは同13年(639年)と、10年ほどずらしたためである。これは「第13回」と「貞観13年」を符合させるためであったと思われる。 それならば帰国の年を早めれば貞観年中に収まるのだが、『西遊記』では往路にかかった年数を14年としなければならない理由があった。これは第98回に説明があるように、三蔵が西天で授かる経典の数5048巻を、旅にかかった日数5048日に符合させるためであった。一年を360日とすると、360×14=5040日という概算となる。足りない8日分については、ここまで八十難を乗り越えた三蔵の残る最後の一難として、第99回で西天と東土を往復させられることになる。なお、史実の玄奘が持ち帰った経典は657部だったが、『西遊記』で経典の数を5048巻としているのは、玄宗皇帝時代の開元18年(730年)に智昇が編纂した、後漢から唐までのすべての漢訳仏典を目録にした『開元釈教録』に載る「1076部5048巻」という値に由来する(この巻数はすでに『詩話』の段階で取経物語に採用されている)。このように、全14年という旅にかかる時間が先に決まってしまっていたため、出発を遅らせた分、貞観27年というあり得ない帰国年が生じることとなった。
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