議会への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:45 UTC 版)
州レベルや欧州議会の選挙でのいくつかの成功の後に、1983年の連邦議会選挙で初めて議席を勝ち取った。その時の重要な争点の中で、アメリカ合衆国およびNATOによる、パーシング II (IRBM) および核巡航ミサイルの西ドイツへの配備が、一般住民の強い反対を生みだしていた。新しく形成された党は、人々の運動への支援を補充することができた。部分的に、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故のインパクトとドイツの大気汚染と森林への酸性雨の脅威に対する意識を育てることで、1987年1月に行なわれた連邦議会選挙で得票率を8.3%に増加させた。 ドイツが再統一されて初めて行なわれた1990年12月の連邦議会選挙は旧東ドイツと旧西ドイツで5%のハードルを別々に適用して行われたが、旧西ドイツの緑の党は、連邦議会の中で議席を得るのに必要な5%の得票率を越えることができなかった(旧東ドイツでは、同盟90と東ドイツ緑の党の政党連合が投票の5%以上を獲得することができた)。敗因はナショナリズムと愛国心の高まっているムードに反対するキャンペーンを行ったことが原因だと考えられた[要出典]。1994年の連邦議会選挙では、連邦議会で7.3%を得票し、49議席を獲得した。
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