論争と政策の展開
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「ソヴェト権力の当面の任務」の記事における「論争と政策の展開」の解説
『当面の任務』の内容については1918年4月29日の全ロシア中央執行委員会の会議でも報告が行われた。報告に基づいてレーニンが執筆した「ソヴェト権力の当面の任務についての6つのテーゼ」は若干の修正を経たのち5月3日に党中央委員会の会議で採択された。 「左翼共産主義者」のテーゼは、「部分的な国有化から大工業の全般的社会化へと移行することをせずに、「工業の親玉たち」と取引きすることは、彼等が指導しそして基本的な工業諸部門を包括する大トラストの形成に導くに違いない。このような生産組織の体制は、国家資本主義へと進展するための社会的基盤を提供するものであり、それへの移行段階である」と主張していた。この点についてレーニンは全ロシア中央執行委員会の会議において国家資本主義は一歩前進だと反論した。 ソヴェト権力のもとでの国家資本主義とはいったいなにか? こんにち、国家資本主義を実現するということは、かつて資本家階級が実施していた記帳と統制を、実施にうつすことである。われわれは、国家資本主義の模範をドイツにもっている。われわれは、ドイツがわれわれよりも上位にあったことを知っている。しかしロシアで、ソヴェト・ロシアで、このような国家資本主義の基礎を確保するということがなにを意味するかを、いくらかでも考えるならば、〔…〕国家資本主義はわれわれにとって救いの手である、と言わねばならないであろう。〔…〕もしわれわれがロシアでそれをもっているならば、完全な社会主義への移行は容易であるだろうし、われわれの意のままであるだろう。 レーニンはその後に書いた『「左翼的」な児戯と小ブルジョア性とについて』でさらに詳しく国家資本主義について説明を加えた。 しかし「国家資本主義」論は当時の状況にまったく合っていなかった。労働者階級による自然発生的な工場接収が進み、全面的国有化への圧力が高まった。内戦の開始により階級対立はさらに激化し、6月28日には大工業国有化法令が採択された。 「国家資本主義」論は1921年春に新経済政策が導入された際に再度取り上げられた(『食糧税について』)。レーニンは農村の小ブルジョア経済を国家資本主義の軌道にむけることをめざした。しかしその方針の誤りも半年で明らかとなった。国家資本主義論には市場経済をどのように位置づけるかという観点が欠けていた。 いまではもう、収奪者を収奪することよりも、むしろ記帳、統制、労働生産性の向上、規律の向上がわれわれの任務であると、われわれは言った。われわれは、1918年3月と4月にこう言った。だが、われわれは、われわれの経済が市場や商業とどういう関係にあるかという問題を、全然提起しなかった。
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