論争と空軍の撤回
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/29 22:20 UTC 版)
マスカレロ、バートランドおよびハントはみな、空軍の説明に強く意見を異にした。2人の警察官はプロジェクト・ブルー・ブックに手紙を送り、そのなかで次のように述べた「ご想像のとおり、われわれは、ペンタゴンが1965年9月3日の目撃の「最終評価」('final evaluation')を発表して以来、相当の嘲笑の的であった。言い換えれば、パトロール員ハントとわたし自身は2人とも、近距離でこの物体を見て、互いにそれを点検し、それが通常の航空機で無いことを確認し、再確認し、わざわざ天気は快晴であること、無風であること、天候逆転の可能性はないこと、そしてわれわれが見ている物は軍用機でも文民機でもないことを確認した。」バートランドは、自分たちのUFO目撃は、オペレーションビッグ・ブラストが終わったと言われたほぼ1時間ののちに起きたが、これは目撃の考えられる原因として作戦を排除したことに注意した。プロジェクト・ブルー・ブックが彼らの手紙に反応せず、1965年12月29日に - 目撃のほぼ4ヶ月後 - 男性2人は別の手紙をブルー・ブック宛てに送り、彼らは書いた、彼らが見た物体は「静かで、ジェットやチョッパー・ブレードの突風もなかった。そしてそれには翼も尾もなかった...それは原ぜんたいを照らし、そして近くの複数の家は真っ赤になった。」 マスカレロと警察官らにくわえて、ジョン G. フラーもまた、印刷物で空軍の説明を嘲笑した。彼は、自分自身でエクセターの近くで異例な物体を見たこと、それは空軍のジェット戦闘機に追尾されていたことを書いた。航空大気現象調査委員会(National Investigations Committee On Aerial Phenomena)のニュー・イングランド調査員 レーモンド・ファウラー(Raymond Fowler)もまた、エクセターの目撃の詳しい報告をファイルした。彼の意見では、空軍の説明もまた不正確であった。いっとき、或る空軍士官は、人々が見てきたUFOはたんに近くのピース空軍基地からの光にすぎないと主張した。それを証明するために、彼は、大群衆が少し離れて集まる前にライトを点けた。ファウラーのよれば、「彼は基地職員にライトを点けるように命令した。だれもが見てそして待った - そして何も起こらなかった。欲求不満を起こして、彼は、マイクで、ライトを点けるようにわめいた。ライトは点いているぞと声があった。ばつがわるくなった士官は、スタッフ車のシートにこそこそと戻り、群衆の笑いとからかいの中を走り去った。」 1966年1月に、空軍長官からの、2等空佐ジョン・スポルディング(John Spaulding)は、警察官の2通の手紙に応えた。スポールディングは、書いた「オハイオ州ライト=パターソン空軍基地のわれわれのUFO調査の士官に提出された追加的情報に基づいて、われわれは、あなたがたが1965年9月3日に目撃した物体を同定することができないでいる」
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