評論家今村徹雄の陳述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:44 UTC 版)
「神坂四郎の犯罪」の記事における「評論家今村徹雄の陳述」の解説
神坂を三景書房に就職させたのは自分なので、彼の自殺幇助の方は関係がないが、業務上横領の罪については責任がある。出会った頃、神坂は人なつっこくて、仕事熱心な好青年に見えた。神坂は独身だと言い張っていたが、彼が三十歳まで独りでいるはずがない、女がいるに違いないとは思っていた。非常に孤独な男だったかも知れないとも思ったが、そのために浪費をしたり、自分と随伴して飮み歩いたりしていたのではないか。本質は貧弱で、気が弱く、狐疑逡巡する風で、編集についても才能がなかったのではないか。 神坂四郎は常に演技家であり、俳優であった。すなわち嘘つきだ。一つの演技には綻びが現れ、繕おうとして、次の演技をしても、更に第三の演技が必要になってくる。日本文化社を退職させられた事情や、業務横領・自殺幇助も破綻の一つなのだろう。その前兆は三景書房に彼が勤めだしてから5ヶ月目に表面化し、その一つとして、編集部の婦人記者をしていた永井さち子の話がある。神坂に家族がいることを知ったのは、東西文化を始めてから七ヶ月後で、永井さち子は女房以外にも音楽家の女がいるらしいということを知らせてくれた。梅原千代については何も聞いていない。 三景書房の社長は彼の日頃の金遣いの荒さを指摘し、社長は神坂を信用して必要な交際費なら仕方がないというルーズなやりかたをしていた。一緒に酒を飲んだ自分も共犯者の立場であり、神坂の酒場における演技は、①今村をしっかり捕まえておき、会社における彼の立場を保障すること、②今村を利用して愛人を養うこと、③酒場の女たちの気を曳こうとしたという三重の目的を持っていたのかも知れない。そこで、気の弱い自分は、二三日後に神坂を呼び出し、苦言を呈した。神坂は自分は今村の悪口を言うはずがない、今村には恩を感じている、愛人とは別れると約束した。その後、業務横領の件を自分が指摘すると、涙を流して礼を述べ、金銭上の問題は責任を持って社長に理解して貰うと約束した。しかし、その後の神坂の対応は、印刷用紙の配給切符を横流しする、という一時しのぎでしかなかった。社長も彼を信用しきれなくなったから、帳簿を厳重に監督し、神坂のやり方を監視するようになった。神坂は最後の手段として、金を女から出させようとしたが、その位では穴は埋められなかった。結果として、神坂は三景書房を辞めさせられ、告訴された。ただし、拘束はされていなかったので、八方手を尽くして助かる方法を考え、自分のところにもやって来た。ある上流の未亡人が宝石を道楽にしており、ダイヤと翡翠で七八十万円はできる、その金を資金として事業を始める、と熱心に説明した。 そこへ、今回の情死事件があり、神坂は気の小さな奴だという気持ちがした。きっと死ぬ気はなく、同情を惹いて、告訴を取り下げさせるつもりだったのだろう。役者は演技をしていて恥ずかしいことはない、面白いけれども、実に哀れな奴だ。
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