評論家・加藤周一の見解
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「言論出版妨害事件」の記事における「評論家・加藤周一の見解」の解説
日本の評論家である加藤周一は、1970年8月号の「潮」に「丁丑公論私記」という論文を発表し、公明党のいわゆる言論抑圧事件について、マスコミに対する反対意見を述べた。 「丁丑公論」とは、福澤諭吉の著書のひとつ。正式名称は、「明治十年 丁丑公論」。1877年の西南戦争の直後に脱稿され、1901年2月1日から2月10日まで時事新報紙上に掲載された。内容は西南戦争で明治新政府に反抗した西郷隆盛を弁護するものである。政府が西郷の官位を剥奪した途端、新聞が一斉に非難を始めたことに対して、「新聞記者は政府の飼犬に似たり」と述べて、「西郷に私怨あるものかと疑はるる程」、新聞の論調が誹謗中傷の一色になったこと、それに迎合する世論に対して反論を展開する。 論文の中で、加藤は「挙世滔々として、日頃役者や人気歌手の私事の報道に専念してきた週刊雑誌さえも、決然起って「自由の敵」を糾弾するかの如く、その状あたかも、福沢流にいえば、公明党に「私怨あるか」の如くであった。」と述べる。 加藤は、マスコミや世論が「公明党を弾劾すべし」との姿勢に反対する理由を、「公明党を支持するからではない。況や同党との間に個人的なつながりをもつからではない。(私は公明党の誰にも会ったことさえない)この結論に反対する理由は、今日の日本国における「言論表現の自由」の侵害の状況そのものであり、それだけである。」としている。 また「「言論表現の自由」の侵害、または少なくともその圧迫は、わが国において新しいことでもなく、また公明党に限ったことでもない。」と述べる。
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