設計局での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 15:34 UTC 版)
「リヒャルト・ワーグナー (鉄道技術者)」の記事における「設計局での活動」の解説
ドイツ国鉄の制式蒸気機関車(ドイツ語版)の開発に際して、ワーグナーは蒸気機関車の合理的な製造と運用という構想を断行した。できるだけ機関車の種類を少なくし、特殊な形式を作ることを避け、できるだけ正確な部品を作って部品や予備品を現物合わせの作業の必要なしに容易に交換できるようにし、またこの当時の多くの形式の機関車で多くの部品や構成品を共通化した。このため彼の時代の一連の機関車の設計はメーカーと国営鉄道の統一事務所から生み出されている。 ワーグナーは、第一次世界大戦のときの鉄道部隊での経験に大きな影響を受けていた。機関車は頻繁に故障するが、各邦有鉄道が多くの形式の機関車を有し、また部品の標準化に欠けている結果、修理用の部品の調達と保守に多大な問題を抱えていた。このことがワーグナーに単純で保守のしやすい設計の必要性を痛感させ、結果として制式蒸気機関車の設計に一面では革新的な影響をもたらしたが、もう一面ではかなり活気を失わせる影響をももたらした。このためワーグナーは燃費が悪く運行上の弾力性にかけるボイラーの設計(ワーグナー式長煙管ボイラー)にこだわり、放射熱の伝達をよくし煙管での熱負担を緩和する燃焼室付ボイラーのようなある種の高出力ボイラーの使用に強く反対した。彼はまた、蒸気圧力を最大限に利用することが不可欠な中圧・高圧ボイラー搭載の実験機以外は、4シリンダー複式機関車を使用することを拒否した。しかしながら、ドイツの他の邦有鉄道(たとえば王立バイエルン邦有鉄道S3/6型蒸気機関車)や他の国(たとえばフランスのアンドレ・シャプロンの設計した機関車)では、4シリンダー複式機関車は保守費用は高かったものの成功裏に運用されていた。 ワーグナーの考えに基づく制式蒸気機関車の導入は、経済的な理由から限られたものに留まった。また軸重20 tへの路線改良工事が遅れたことも、制式蒸気機関車の導入の遅れにつながった。より小型で軽量な機関車がかなりの数製造され、成功をおさめた。他の形式の機関車は、一部の試作機のみか少数のみが納入された。ドイツが戦争準備を開始して初めて、計画に含まれていた車軸配置1Eの重量貨物機関車と、それから派生した当初予定になかった車軸配置1Eの軽量貨物機関車が戦時機関車(ドイツ語版)として特別に開発され、前例のない規模で大量生産された。戦時機関車の開発と量産は、ワーグナーの辞任後のゲルハルト・デーゲンコルプやフリードリヒ・ヴィッテの責任において進められることになった。 こんにち鉄道ファンにとってワーグナーの名前は、ドイツ国鉄の標準大型除煙板であるワーグナー式除煙板として主に知られているが、これは彼の業績のほんの一部であり、また公式に彼の名前にちなんで命名されたものでもない。
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